エジプト視察(2):ナイル川下り
- 2018.12.02
- 視察旅行
AswanからLuxorにかけて、ナイル川を船で下りながら周囲生態系や文化遺産を視察しました。
ナイル沿いは牧草地やバナナ園などが点在していて緑が豊かなように見えますが、その向こうは一面の砂漠です。
GoogleMapの衛星写真で見ると、ナイル川の周囲にだけ緑のラインが形成されているのがよくわかります。
アスワンハイダムの建設によって、ナイルの氾濫は制圧され、サトウキビの製糖工場やアルミニウム精製工場などに必要な電力が確保されました。
その一方で、ワニやカバなどの絶滅により下流生態系は変容し、ファラオ時代から土地の生産性を回復してきた洪水がなくなった為、結果的にナイル沿いの緑地帯は縮小し、農業も化成肥料の投入が継続的に必要になりました。
地元エジプト人の話ではムバラク政権時に毒性のある肥料を導入してしまった為、安価に大量生産されている農産物による発ガン率の上昇や、水道水への混入が懸念されている地域・物流があるとのことです。
近年ではエチオピアなどエジプト以南のナイル上流で巨大ダム建設計画が進んでおり、ナイルの水不足はますます深刻になりつつあります。
エジプトでは水不足の影響を受けて稲作が法律で禁止され、サトウキビにも大幅な制限が課されたとのことです。
エチオピアのダム建設により、エジプト内のナイルの水位は最大で50%下降すると予想されています。このままナイルの水位が下がり続けると、座礁などでクルーズ船の運行にも支障をきたし、エジプトに取って重要な観光産業が打撃を受けます。
巨大ダムの建設により、エジプトをはじめナイル流域諸国は、氾濫原とともに生きてきた小規模農業の弾力性を失い、却って生産方法の硬直化を招き、社会内の貧富の格差が拡大し、益々外部資源の輸入に頼らざるを得なくなってしまっているようです。
この神殿はナイルの走行に合わせて建設されており、ナイルの氾濫の周期性から一年が365日であることに気づき、それまでの太陰暦(360日)から太陽暦(365日)への転換が行われたことを示す遺跡が残っています。
天体としては、シリウスの位置を基準にナイルの氾濫時期がわかり、太陽暦ができたそうです。
世界最古と言われる太陽暦への変換を示す石版。
王の権威の象徴でもあった360日カレンダーから365日に修正するには、当時の世界観全体を作り変えなければなりませんでした。新たに加わった5日に対応する5体の神が生まれた理由を正当化する内容で、人々を本能的に惹きつける近親相姦や兄弟殺しに彩られた壮大な神話が当時の権威によって創作され、エジプト神話における主要な神々であるオシリス、イシス、セト、ネフティス、ホルスなどが生まれました。
ファラオ時代の神殿は、日本の神社と構造が似ています。
後に他の神殿でも出てきますが、入り口のスフィンクスは狛犬、神殿の門番であるハトホルの正面表示やイシス・ハトホルの横向き表示(profile)の彫像やレリーフは阿吽像と対応しているように感じます。
神殿の構造として共通な前庭、中庭、奥のチャンバーは、神社にある多段階の鳥居で仕切られた境内と奥の宮にそっくりです。
更に、奥のチャンバーには船の形の神輿が格納されています(現在多くはヨーロッパに持ち去られています)。
参拝の前には、神殿横の井戸水などで身を清める禊場があります。
これは、古代文明まで遡る人類の通底意識の構造が、日本とエジプトで共通していることを示唆していると思いました。
(専門的には「抽象度の軸層構造」と呼んでいます。)
日本の神道と同じような祭祀の形態は、2年前のCOP13参加時に訪れた、メキシコにあるマヤ文明の遺跡でも見つけることができました。
これは完全に主観的な予想ですが、社会の上位において最も重要視する祭祀の形態が同じである以上、当時の日本にも古代エジプトやマヤ文明と同レベルの文明活動があったと思います。ホモ・サピエンスが食物の分配のために極めて長距離を移動することで肉体的に秀でたネアンデルタール人より生存率を高めたことを考えると、穿った見方をすれば、これらの古代文明にはその距離的な乖離にかかわらず文化的に同根の要素があるかもしれません。現在のような交通機関がない時代にこそ、我々人類は異国の地へ憧れ、遠くからの旅人の話を珍重したと思われるからです。文字が一般に膾炙していなかった時代から、世界各地で人は驚くほど風聞を共有していたと思います。しかし、これだけ社会権力を集積し、何千年も残る形で具現化したのが古代エジプト文明だったのではないでしょうか。
Kom-Omboのご神体はなんとワニです。建設当時に埋葬された大量のワニのミイラが、今でもそのまま残っていて見ることができます。
これらはご神体として神殿の周囲に埋葬されていたため、ファラオのミイラのように復活を願ったものではないと予想されていますが、なぜワニなのかは不明です。
ヌビア人もワニを神聖な生き物とみなして家の中で飼う風習がありますが、ヌビア人がワニをミイラにしたわけではないようです。ヌビア人もピラミッドやミイラを作っていましたが、大部分はスーダンにあります。
いずれにしろ、大きなナイルワニの身体が有機物として丸ごと残っている様は迫力があります。
協生農法において、生の植物を乾燥させたものからお湯で抽出したお茶にも、自然条件(in natura)で自発的に育ったことに由来する様々な生理活性物質や、飲用者の代謝に与える効果が確認されています。
このような in natura factor に相当するものはワニなど生体のミイラにも残るはずなので、古代エジプト人が神威を感じたワニという生きものが、そのまま有機物の塊として保存されているのは、in natura factor の保存という意味では的を得た方法なのかもしれないと思いました。
ミイラと動物の関係は謎だらけです。
エジプトではゾウ、キリン、ネズミのミイラもありますが、いずれも神として崇められていたわけではありません。
ワニ、猿、鷺、鷹(ファルコン=ホルス)は神です。神でありミイラ化されているという意味でワニは特殊で、セティ1世の墓の壁画にもワニの上に人の頭が載っている謎の絵があり、古代エジプト人にとってワニが何を意味していたのか、未だ推測の域を出ないようです。
Kom-Omboには外科手術の道具を示す絵もあり、当時の医療の体系を推し量る上でも興味深いです。
ガイドの話では、古代エジプトで外科手術を行うphysicianは良家の出身で学校の優等生。一方呪術や占いを行うmagicianは給料低く格下の扱いだったそうです。古代文明がすべてシャーマニズムを上位においていたわけではなく、外科手術という極めて近代的に聞こえる医療行為も古代より起源があり、社会的にも上位に認知されていたことは新鮮でした。
その後、再び船でナイルを下り、これまで発見された中で第三の大きさを誇るEdfou神殿を見ました。
半分砂に埋もれていたためかなり良好に保存されており、発見されるまで上部には一般人が住んでいたため天井が煤で黒ずんでいます。
紀元前230年に遡る時代の、カバ退治の神話が刻まれています。表面は後世にやって来たローマ軍やヨーロッパ人たちによってキリスト教会に改修された際、引っ掻かれ破壊されています。
巨大な数字の単位を表すヒエログリフ。神殿の壁面は今でいうfacebookページのようなもので、集ってくる市民の教育や王の権威を宣伝するための様々な情報でぎっしりと埋め尽くされていました。
奥の宮の屋根はピラミッドになっています。古代の巨大なピラミッドが縮小して神殿の最奥部に収まったそうです。
その前には、ご神体が空を天井のナイル川に見立てて旅をする為に、船神輿が据えられています(他の神殿の船神輿はほとんどが持ち去られています)。
次に訪れたEsna神殿では、まだ建立当時の壁の色彩が残っていました。こちらも紀元前230年前に遡ります。
船はEsnaのクラッチ(段差式水門)を越え、Luxorに向かいます。
水門では地元の人たちが土産品の織物をどんどん船に投げ入れて来て、船の上と下でモノとカネを投げ合うことで買い物することが風物となっています。
ナイル川沿いの細い緑地帯以外は、砂と岩の砂漠。北アフリカが湿潤だった時代が8−6000年前に終焉して以来、ファラオ時代を含めてずっと続いて来たであろう河岸の景色を眺めながら、船はゆっくりと下っていきます。
-
前の記事
エジプト視察(1):Aswan 2018.12.01
-
次の記事
エジプト視察(3):Luxor(古代文明編) 2018.12.03