エジプト視察(3):Luxor(古代文明編)
- 2018.12.03
- 視察旅行
ファラオの新王国時代(紀元前1570-1000年)に最も栄えた古代エジプトの首都、Luxorにやって来ました。
先ずは古代文明編です。
言わずと知れたルクソール神殿。アメンホテプ三世、ラムセス二世と言った強大なファラオにより建築され、アレクサンドロス大王も増築をおこなっています。
入り口に立っているオベリスクは元々一対あったのですが、右側のものはフランスに持ち去られ、現在パリのコンコルド広場に置かれています。
(右図写真出典:http://www.obelisks.org/paris_j.htm)
上ナイルと下ナイルの統一を表す、結び合う蓮(上ナイル)とパピルス(下ナイル)の花のモチーフ。
征服された都市は、後ろ手に結ばれた奴隷の絵とともに都市名がヒエログリフで刻まれています。
有名なツタンカーメン王の頃から、王の像が理想化ではなく写実的になってきました。
古代のルネッサンス運動のようなものでしょうか。
広場の天井を支えるのは70本以上の柱です。夜のルクソール神殿は荘厳な雰囲気に満ちていて、王の眠る場所に相応しい深い安寧も感じられます。ガイドの解説を聞かなくても心身が呼応するように馴染める場所です。古代エジプト最盛期の栄華が偲ばれます。
一夜明けて、こちらはMemnomの神殿跡。やはり紀元前1300年ごろの同時代のものです。メムノンの巨像と呼ばれる、元はそれぞれ一つの石から作られた像が2体置かれています。
過去の記録では地震で破壊されて風切り音が鳴っていたそうですが、BC70年ぐらいにローマ人が砕けた石を積み上げて修復したそうです。
そして新王国歴代ファラオが眠る王家の谷へ。
中央に見えるのがツタンカーメンの墓への入り口です。
墓の発掘には当時のヨーロッパ人たちを熱狂させた幾多のドラマがありますが、スケールとしては数十メートルと非常に小さい範囲での出来事だったようです。
現在の技術ならあっという間に見つけてしまうでしょう。
一方で、最新のテクノロジーを使った日本の発掘隊が新たな墓を見つけたのに、発見のペースが速すぎて発掘事業者の利益にならないため、論文まで出したのに封殺されてしまったという事件もあったようです。
訪れた中で最もcozyでheart-warmingな雰囲気のあるラムセス4世の墳墓。
棺を置く部屋は、地下なのに夜空の星が彩られていました。
特別に人を入れていない部屋の撮影も許可してくれました。
時を超えた白い輝きが神秘的です。
撮影禁止だったので写真はありませんが、王家の谷の中で最長最深となるセティ1世の墳墓にも入りました。
棺室は、天井に今でも深みを帯びた velvet sky の色彩が息づいていて、当時の天文学の粋である大宇宙の星座や天の川を表すカバやワニの装飾があしらわれていました。
地下深くの静寂の中で静かに佇んで眺めていると、本当に時が止まったかのように感じました。
王家の谷の山の裏にあるのは、新王国時代でエジプト初の女王となるHatshepsut(ハトシェプスト)の葬祭殿です。
背後の山に擁されるように囲まれた立地で、小さな京都のように感じる地形とスケールの大きさがあります。
ほとんど跡形もなく壊れていたのを、ポーランド人のチームが修復しました。
修復作業は今でも続いており、狛犬のようなスフィンクスを直しています。
広大なテラスから岩山を背景にした神殿と下の盆地を見渡すことができます。
一方で、この場所は1997年に起きた無差別殺傷テロ事件の現場でもあります。日本人10人を含む63名の命が失われ、エジプトが今でもテロの脅威に曝されている軍事国家であることを痛感させられる場所です。
その後も、高貴な身分の人々の墓で、市井の生活や農業の様子が描かれた壁画を見たり(内部撮影不可能)、
古代都市の遺跡や併設されている庶民の墓を見学しました。小ぶりでしたがやはり地下室に棺とミイラという形式でした。
猛暑の中、もうこれ以上墓は見れないと思うほど強行軍の見学でした。
途中で試飲したサトウキビのジュースがアスワンのものより雑味がなくスッキリしていました。
昼食には地元のレストランで、非常に美味な自家製の鴨のローストをいただきました。
最終日は、エジプト最大のカルナック神殿です。
ほぼ町といえるほど圧倒的なスケールで広がる遺跡の中を、居並ぶスフィンクスの群、未だ残る壁画の色彩、征服された諸都市のレリーフ、植物園跡や、3000人以上の神官が禊をするための巨大な貯水池などを見て回りました。
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