ブラジル視察(3) Sete Barras

ブラジル視察(3) Sete Barras

São Paolo から車で4−5時間かかる Sete Barras (セチバラス)という場所に、日系人たちが始めたアグロフォレストリー(Agrofloresta)があると聞き、視察に出かけました。

ブラジルには、実はアマゾン以外に Mata Atlântica (大西洋岸森林)という大西洋沿岸部17の州をまたがる広大な森林地帯があったそうです。現在は農耕や都市化によってその7%しか森林が残されていませんが、Sete Barras はその貴重な場所の一つだそうです。

朝の5時に出発して、2時間ほど進んだ途中にサン・カルロス連邦大学があり、アグロフォレストリーを研究しているブラジル人教授をピックアップしました。
大学校内にアリ塚が立ち並ぶ壮麗な光景。

校舎の中庭には多種類の有用な草本と低木を植え合わせた実験庭園があり、無耕起・無施肥・無農薬なのでSynecocultureの基準にも合致する取り組みのようです。早朝から議論が盛り上がりました。


このようなやり方であれば、森林が主体のアグロフォレストリーだけでなく、Cerradoや都市部など高木がなく草原主体の場所でも拡張生態系が実装できそうであることがわかります。アマゾンなどの森林部は社会的に入植が難しいと聞かされている一方で、アマゾンが焼き払われて草原になったり、草原が劣化し砂漠化している場所もブラジルには多いため、草本主体のSynecocultureの方が有効な面積は社会的に多いだろうということがわかりました。

さまざまな民族的バックグラウンドを持つ学生が集うという教室には「アグロエコロジーは唯愛である」という標語が。

Sete Barras 方面にさらに3時間ほどかけて向かいながら、途中のampmで軽食。

アボガドのアイスが美味です。

大型バイクのライダーが多く、彼らがチームで作っているステッカーで埋め尽くされています。

さらに進むと、歴史的に森林を焼き払って牧草地としている場所を通りました。

航海調査で訪れたトカラ列島でもそうでしたが、ジャングルのように植生が豊かに茂るところはその勢いが強すぎて、単作農業をやるにも雑草や灌木の再生を抑えることが困難です。しかし、一度焼き払って草原にし、牛などの牧草地とすれば、草原に対して常に収穫圧をかけることができ、産業化が比較的容易です。トカラ列島ではそのため各地のブランド牛の子牛を育てる畜産によって相対的に農業が衰退し、島の植生が均一化してしまう傾向が見られました。

ブラジルでも歴史的に各地で森林を焼き払い牧草地化する開発が行われてきました。近年では、これ以上牧草地を拡大することを禁止する法律が成立していますが、それを守らず違法に森林に放火する人が後を断ちません。今回訪れた場所はアマゾンから遠い東側の海岸線に近い場所ですが、森を焼く煙にしばしば喉を痛めるほど、今も日々森林が焼かれています。

道路を通すために削り取られた山肌からは、豊かに見える森林もいかに薄い表土の上に保たれているかが見て取れます。アフリカの乾燥地でもそうでしたが、赤い岩石の上のごく薄い黒土の部分だけが有機物を含む表土であり、日本など温帯の森林の黒土の厚さに比べれば非常に薄弱な層であることが窺えます。

このように貴重な表土を失うことが、巡り巡ってコロナのようなパンデミックの発生と関連していることは「表土とウィルス」を参照ください。

Sete Barras の Raposa(狐という意味)の集落につきました。現地の日系人の方々が、入植時に建設した「会館」で出迎えてくださいました。

São Paolo のブラジル日本移民史料館で見た展示によると、ここは1920年より日本人が入り開拓した集落です。

会館の中には往時を偲ばせる資料や写真がひそやかに掲げられていました。

日本人移民たちは、農業者として成功して日本に凱旋することを目的にブラジルに渡った方が多いそうです。そのため日本に帰った時に2世以降が困らないように、教育にとても力を入れて、自前で小学校を建てています。農地開拓に加えて小学校、さらにサンタクルス病院をはじめとする診療所のように、農業・医療・教育に関する社会的共通資本をゼロイチで作るという歴史的な活動が、多くの日系人コミュニティーで同時多発的に行われてきたことがわかります。
そしてその視線の向く先が、「世界の福祉」であることが、小学校の校歌に高らかに歌われています。

かつての日本人が世界に馳せる想いは、現在のESG、SDGsやウェルビーイング研究ブームをはるかに先取りしていたのではないでしょうか。

我々が日本から来てくれたというだけで、お正月にしか開けない天皇・皇后両陛下の写真の扉を開けて見せてくださいました。日系人の中には武士の家系であるとおっしゃる方も多く、宮家をとても大事に崇敬していらっしゃいます。

この集落ではかつて森林を伐採して単作農業を行っていたのですが、高齢化や若い世代の都市部の移住に伴いしばらく放置されて自然回復した場所があるそうです。そこを新たにお茶のアグロフォレストリーにして国内向け生産とエコツーリズムを展開しており、現地を見学させていただきました。

ここ3年ほどで新たに入り口に造成しつつあるお茶園。お茶の木と高木が混生し、中間の樹木は伐採されています。

中に入ると、鬱蒼とした森が続きます。

ところがよく見ると、そこに高く成長したお茶の木が混ざっています。確かにお茶の木なのですが、日本ではこんなに高く成長したものを見たことがありません。

鬱蒼とした林の下も、お茶の低木が覆い尽くしています。

なんと、お茶の木がこぼれダネで発芽し、延々と自己更新し続けているようです。発芽したてのものは苗として引き抜き別所に移植して活用します。

これらの森はかつて天然のジャングルであり、そこを日本人移民が伐採して切り株や石を取り除き、お茶のモノカルチャー栽培を行っていたそうです。
その時点ではアグロフォレストリーではありませんでした。
その後、農業活動の衰退に伴ってお茶畑は放置され、全く手が入らないまま30年ほどの月日が流れ、再自然化が起きて今の森林とお茶の木が共存している状態になったそうです。

しばし、この野生化したお茶の木と周囲の森の存在に心奪われ、その豊かな生命力に浸っていました。

しばらく歩くと、7年ほどお茶の生産とエコツーリズムを行っている、少し開けたサイトにつきました。

斜面にお茶の木を低く刈り込んで残し、あとはジュサラ(juçara)というヤシの木だけを残して他の木を伐採し、そのまま土に還します。当然ながら、無耕起・無施肥・無農薬でSynecocultureの必要条件にも適合しています。

ジュサラはアサイーに似たヤシの木ですが、アサイーよりも鉄分含有量が高いそうです。
ジュサラの生えている密度で、お茶にあたる日照量を調節しようとしています。
右奥が日照量の多い状態、左手前が影が多い状態。

お茶は機械を使わず手摘みで収穫しており、とても良い香りがします。収穫体験にも多くの観光客が来るそうです。
中国のお茶園では、最高級の茶には決して機械を使わず手摘みでしたが、産物の質を高く保つ手法として共通しているようです。

陽が当たる方がお茶の収穫量は増えるが、風味などの質は落ちる。一方で日影だと収穫量は減るが質は上がるそうです。
これは半日陰を活用して質の高い作物が生育することを狙うSynecocultureとも共通した現象です。

日影調整のために伐採する木は切り倒すのではなく、下の写真のように根本の樹皮だけを一周ぐるっと剥がします。すると水を吸い上げる維管束の部分が失われるので、成長することができず徐々に立ち枯れていき、時間をかけて腐葉土になっていくのだそうです。エネルギーを使わずに手作業で有機物の循環サイクルを制御できる、効率的な工夫です。

表土は枝葉や立ち枯れた木の破片で覆われ、表面を浅い根が縦横に走り、薄いですが真菌の匂いのする湿った表度が保たれていました。

根の深さも考慮されており、例えば下の写真ではジュサラの両脇近くに別の太い木が2本ありますが、根の深さが違うので競合しないそうです。
そしてジュサラは極相で育つ陰樹(shade-tolerant tree)であるため、むしろ日影を作り植生遷移を勧めてくれる他の樹木はあった方が良く、こちらの影を濃くする実験区画では残しているとのことでした。このように日照・地中方向・生態遷移も加味した立体的な栽培法が生まれつつあることは、拡張生態系の方法論として見ても興味深いです。

落ち葉の上をよく見るとアリの大行列がそこかしこにあります。噛まれると大変痛いそうですが、今回は手に乗せても大丈夫でした。

山の上に出ると、そこは2年ほど前から果樹園の実験をしている場所でした。相変わらず表土は薄いのですが、草刈りだけ定期的に行いそこに多種の果樹や材木をランダムに植えています。

パイナップルだけは小さくなってしまうそうですが、それ以外の樹種は何も肥料農薬なしで大方順調に育っていると言っていました。

別の斜面で2年ほど前から始めた茶園。やはりジュサラを通路に植えて混植を試しています。

通路にある小さな苗が、2種間ほど前に植えられたジュサラです。今は乾季の終わりで100日以上一滴も雨が降っていないそうですが、幼木も枯れることなく、2週間以内には雨季の最初の雨が降るだろうとのことでした。

こちらはアサイーの高木。ジュサラと似ていますが違う種です。どちらも新芽はPalmitoとして食され、食感は筍や白アスパラに似ています。どちらも天然物の乱獲により数が減少し、現在は保護区が設定されています。

山の麓には農業用水が整備されていました。鯉が優雅に泳いでいます。アマゾンからは遠く、ワニはいないため泳げるそうです。

池の脇では、育苗が行われていました。

こちらが今回のアグロフォレストリーで生産販売されているお茶です。緑茶と紅茶がありました。

調査した限りでは、今回のアグロフォレストリーはインプットなしで植物の自発的成長に完全に任されており、お茶の木とジュサラだけでも、学術的にはin natura 状態で生育した産物と言えます。
これ以外にも、さまざまな花やウルシなども自生しており、今後それらが生態系としてもつ相互作用を取り込み、更に栽培種や共存種を豊かにしていったときにどのようにお茶の質が変わっていくのか、拡張生態系としての発展可能性は、探究しうるテーマだと思いました。
世界中のお茶が肥料や農薬をほとんど自明の前提としてしまっている今、このようにin natura 産物を提供できるアグロフォレストリーが注目を集めつつあるのは、このような生態系に根ざした取り組みがブラジル国内の食料主権にとって本質的であることが、社会の中で認識されつつあるからではないかと思われます。

暑い中でも熱心に案内していただき、弛まぬ努力と高潔な倫理観の賜物である多くの素晴らしい実践を教えてくださった日系人の方々と、冷えたビールで乾杯。
また調査に戻ってきたいところです。

帰り道、国立公園の中の湧水に立ち寄りました。豊かな森を湛えているおかげか、とても柔らかで飲みやすい水です。


幹線道路沿いには、新興住宅地が立ち並んでいる場所もあり、特に低所得者を移住させて農業従事者になるための支援プログラムがあるそうです。
ブラジルは広大なため、一度格差のある集落ができてしまうとそれがなかなか解消されず、国内的な格差や治安が連動した課題だということでした。

他に制度的な側面として、相続税がないことから土地の再分配も起こりにくく、産業として輸出するための農業を行っている個人や企業はどんどん豊かになっていき、結果として格差が広がっているという問題もあるそうです。
これも社会的共通資本としての制度資本や金融資本を、格差解消に向けて設計するために重要な問題定義を与えている状況だと思います。

あとは寝て帰るだけ、と思いきや、同行した教授がサン・カルロス連邦大学そばの自分のアグロフォレストリーも見せたいというので急遽見学に向かうことに。
夕闇が迫る中、今度は学術的にも計算されたアグロフォレストリーを見ることができました。

大学の連携圃場に着くと、ニワトリさんたちのお出迎え。この卵や他のフルーツも、São Paolo の Instituto Chão に卸しているそうです。

ドラゴンフルーツの棚。

バナナの列。

まだ未熟ですがパッションフルーツ。maracujáと呼ばれます。

硬い木材として珍重されるマホガニー。枯れ葉を根元に積むだけで、数年でこんなに大きく育つそうです。

ここまでは一種類ずつの単作栽培じゃないか、と思われたかもしれません。
その通りで、さすが教授、単作と混作の組み合わせを両方試して比較しているのです。
しかも組み合わせも2種、3種…と増やしていくと同時に、果樹、木材、在来種、などカテゴリー別にも試しているそうです。
この後めくるめく混生の世界にご案内していただきましたが、研究施設のため写真は入口までにしておきます。

アグロフォレストリーでは、花をつける種も昆虫相などを介して大きな役割をしていると思われます。

そして地面の下でも育つウコンのような作物も、積極的に導入できます。

教授とのマニアックなアグロフォレストリー談義は、日没を過ぎて蠍座が大空に瞬いても延々と続いたことは言うまでもありません。本当に貴重で楽しいお話をありがとうございました。

今回訪れたブラジルは、自然の時空間スケールが人間よりはるかに大きく、しばしば文明社会の常識が通用しない事象に思いを馳せることになりました。
翻って、普段よりもう少し長い時間スケールで日本を見ると、経済危機とは全く異なる規模での自然の脅威も見えてきます。
100年に一度は噴火してきた富士山が、ここ300年噴火していません。
以前に航海調査でも訪れた7300年前に大噴火した鬼界カルデラは、過去10000年で日本における最大級の噴火であり、今でも活きた海底火山です。
現在危惧されている南海トラフ大地震も、どこかで必ず起きるでしょう。
もしも日本列島が壊滅的な災害で住むことが難しくなった場合、50年後、100年後の日本人は、地球上のどこに住んでいるのでしょう?
その時、世界各地で日系人が果たす役割はどのようなものになるでしょう?
ブラジルにはそんなことを考えるヒントもたくさん眠っているように思います。