エジプト視察(5):Cairo(古代文明編)
- 2018.12.05
- 視察旅行

エジプトの首都、Cairo(カイロ)にやってきました。
カイロと言えばギザのピラミッドです。
大きなピラミッドだけでも4つあり、その中でも最大のものが「クフ王のピラミッド」と呼ばれています。
中には精巧に巨石をずらして組み上げることで作られた通路が上の奥へと続いています。
最奥部の棺室の石棺。
これが本当にクフ王のものだったのか、今でも諸説紛糾しているようです。
クフ王のものという証拠品が、カイロ考古学博物館にあるわずか数センチの像や、石の上に塗料でペイントされた名前(Cartouche)しかなく、発掘したイタリア人探検家の捏造だという説もあるそうです。
棺室はアスワンから運んだ2トンから50トンの重さの大理石で構成されています。まるでラピュタのように巨石が組み合わさっています。
外に鎮座する巨大なスフィンクス。他の遺跡では大体一対あるのに、ここでは一体しか見つかっていません。
スフィンクスは下部が修復されてたくさんのブロックから成っているように見えますが、元々は一枚岩の削り出し。
劣化の度合いから、ピラミッドより以前から在ったという説もあります。
古代のナイルはピラミッドのすぐ側まで流れていて、アスワンから2-50t級の大理石を船で運び込んでいたので、ナイルの氾濫による侵食で、建立年代以上に侵食されて見える可能性もあるかもしれないと思いました。実際、スフィンクス上部の削れ具合は水による侵食のようにも見えます。
それにしても全てが対になっている建造物の中で、狛犬であろうスフィンクスが一体しか見つかってないのも不思議です。
誰が作ったのかもわかっていないそうです。
日本も保存に協力している、太陽の舟。
木造ですがとても4500年前のものとは思えないほどしっかりと保存されており、今にも神々を乗せて大空へ漕ぎ出して行きそうな品格があります。
もう一つ郊外にある有名なピラミッドとして、Dahshurのピラミッドがあります。
当時の首都メンフィスの町から外れた所に作られた二つのピラミッドで、緑地は現代の方が縮退しているため今では砂漠の真ん中にあるように見えます。
二段傾斜のある屈折ピラミッドが有名です。他のピラミッドの角度との比較から、最初の傾斜が急すぎて設計変更したと言われています。
内部装飾はありませんが、外殻が残っている唯一のピラミッドです。(ピラミッドの外殻は後世の人々が他の神殿や建築をするために剥がしてしまったそうです。)
ギザのピラミッドより前、2600BCごろの建設と言われています。
発見されている最古のピラミッドで、有名な内部装飾(ピラミッド文書)が出て来るのは更に400年後の次の時代のピラミッドからです。
屈折ピラミッドから少し離れて、赤いピラミッドがあります。こちらは中に入れます。
ピラミッドの傾斜角度が屈折ピラミッドの2段目と同じであることから、屈折ピラミッドの作り直しと言われています。
赤いピラミッドは、ピラミッド内に三角天井のチャンバーが3つもある唯一のピラミッドです。
エジプトの法律で、内部では一切の宗教的行為は禁止ですが、北欧系の気功グループと思われる集団が香を焚いて呼吸瞑想体操のようなことをしていました。ピラミッドパワーにあやかるためでしょうか。
巨大なピラミッドはいずれもそうですが、誰が作ったか、墓だったのか、詳細は不明です。
近代以降のヨーロッパ人による発掘時に既にミイラはなく、石棺らしきものが破壊されてあっただけ。墓ではなく天文学のラボだったという説もあるそうです。
カイロ市内のダウンタウンを散歩。
小さな肉屋では軒先に肉が常温で吊るしてあります。
サトウキビジュース屋で一休み。
小ぶりのあまり立派でないサトウキビのジュースは、雑味がなく非常に美味でした。
おそらく近くでいい加減に作られていて肥料をやっていないものと思われます。
ダウンタウン近辺は人と車が入り混じって騒然としており、車での移動には非常に時間がかかります。
生活環境もゴミが水路に大量に散乱していて、公衆衛生の観点からは管理状態が良いとは言えません。
大きなクマネズミが生ゴミとプラスチックが散乱した中で餌を漁っていました。
カイロ市内では、ナイル川の中州にあるナイロメーター(Nilometer)を見学しました。
Nilometerは、ナイルの水位を測る装置で、それによって農地に供給されるナイルの川土の量と収穫高が予想できるため、税金の水準を決めるための重要な測定装置でした。
Aswanはじめナイルの流域には様々な形のNilometerがあります。
中の天井は美しいイスラム様式の装飾が施されています。
真ん中の柱に、ナイルの水位を測るために目盛りがついています。
このNilometerは900AD(1267AH-After Hegra)ごろに建設された比較的新しいもので、1805-1840年にエジプトを統治したMohamed Aliの時代まで使われていました。
今でも水位が上がればナイルの水が入ってきますが、アスワンハイダム以降は水が入ってくるほど水位が上がらないそうです。
柱の最深部には、昔ナイルの水が入って来たときに付着した泥が残っていました。
非常に美しく歴史的な価値のある建築ですが、あまり観光客が訪れる場所ではないそうで、わざわざNilometerを見に来たことに驚かれましたが詳しく説明していただけました。
1805年にMohamad Ali氏が国家元首に着任してから、エジプトは近代化の道を歩むことになります。農地は国有化され、収穫も国家により独占されます。国家が全農民の作付けを指導管理し、違反者は叩かれるなど肉体的な刑罰があったそうです。近代化に伴い、徐々にNilometerも使用されなくなりました。
-
前の記事
エジプト視察(4):Luxor(農園視察編) 2018.12.04
-
次の記事
エジプト視察(6):Cairo(農業編) 2018.12.06