サハラの呼び声: 3. ファダへ

サハラの呼び声: 3. ファダへ

最初の滞在以降、ブルキナファソでは新たにクーデターが勃発し、度重なる反乱部隊と政府軍の衝突で、首都は騒然となっていた。
私が滞在したすぐそばのホテルでは大規模なテロ事件が発生し、銃撃戦の末30人の滞在客が犠牲になった。
政府筋の情報は軒並み危険信号を並べ、現地の状況は国際社会から閉ざされていた。
しかし、私の手元にはアンドレやアランからの情報が届いていた。民衆が何を考え、何に怒り、何を守る戦いであるのか。そして治安当局が崩壊し無秩序状態と報道された場所でも、実際には民衆がこれまでと同じ平穏を保っていたことも。
二重の社会構造と流布する情報をつなぎ合わせて、私なりに状況を分析すると、新体制に入り込むには今が動く好機であることがわかった。今は混沌としていても、これからこの国は生まれ変わるのだ。
そして、2016年10月に再びかの地を訪れることにした。

周到さと大胆さが必要な戦いだった。
物資も乏しく情報も不安定な中で、公務員や研究者を中心に個人のコネをつないで活動拠点を増やし、学術シンポジウムを開く作戦を練った。
プランAがダメならプランB。プランBもダメならプランC。それもダメならセーフティーはどこで確保するかー 考えることは山のようにあったが、時事刻々と変化する現地の状況と照らし合わせる柔軟性も必要だった。

首都のワガドゥグで日本との連絡ラインの確保を済ませると、我々は東部の実験農園に行く手段を検討し始めた。

東部のタポア地方は危険度レベルが下がらず、雨季に入ってから洪水で道路が寸断されていた。砂漠は乾燥しているだけでなく、表土がないため降った雨を留めておけないのだ。その状況下で武装盗賊が出没している。これではヘリコプターでない限り安全確保できないどころか、到達さえできない。
実験農園はそんな状況でも生き延びて、生産を続けていた。治安の悪化と道路の流亡は、図らずも孤立した集落における協生農法のサバイバル力の高さを実証していた。
何としてでも助けに行きたいという想いは募る。
だが、ここは英雄的な感情に流されてはいけない。命綱にしがみつく人々を対岸に見つつも、我々はアクセス可能な地域に拠点を構築しなければならない。現地の治安状況を考えると、発芽しかけた活動の全滅を逃れること、それが最優先事項になるのだ。

我々は農園への到達を諦め、首都より安全なシンポジウム開催地のファダへ進路を定めた。首都ではいつ政変のあおりを食うかわからないので、最も長期的な安定性が見込めるのは首都と危険地帯のちょうど中間になるのだ。だが、ここも平穏とは言い難い。
ファダへ向かう幹線道路にも武装強盗が出没していた。
銃や刀剣で通行者を襲い、金品を剥ぎ取るのだ。
貧困は通常の村人を犯罪者に追いやる。
国政が弱体化している今、それを取り締まる十分な公権力もなく、私設の警備団と盗賊のいたちごっこが続いていた。
自警団による私刑は盗賊をさらに過激化させ、暴力の連鎖がエスカレートしていた。

要請しておいた国連の査察官も、結局連絡がつかなくなってしまったため、我々は現地に駐屯している軍隊に助けを求めた。
要人警護の特殊部隊が8人、フル装備で我々の車の警護についた。高くつくがここで金を惜しんではならない。
重い金属のベンチを据え付けた日本製のトラックに、長距離射程の機関銃を乗せて黒ずくめの兵士たちがやってきたとき、誰もがこれから引き返せない道を進むという事実を自分の腹に呑み込んだ。

アンドレが前席から振り返って言った。
「心配はいらない。銃弾は必ず前からくる。つまり俺たちが盾だ」
横からバスタレも手を泳がせてふざける。
「弾が飛んできたら、俺がつまんでやるよ」
「ありがとう。でも、お前の手は二本だ。三発目からは自分で取らなきゃならないだろう」
会話はそれで十分だった。車はいつになく静かに走り出し、前に護衛部隊の車両が入った。
蜃気楼に揺れる中を、護衛車両は先行監視を続け、対向車に対して蛇行で威嚇を繰り返しながら中速度で進んだ。
やがて道は穴だらけになり、時に迂回し我々は荒野を突き進んだ。
閉め切った車内で、張りつめた緊張と悪路の衝撃をかぶりながら、自分たちの意識が、この乾燥した大地に溶け込んでいくのを感じていた。

ここから先は行けない。危険度レベル3に接する限界。我々はファダに着いた。

たどり着いたファダの地で、アフリカにおける協生農法の最初の実験を行ったアンドレ・ティンダノ氏とAFIDRA本部の前にて。

ー続くー