エジプト視察(9)番外編:Sharm El Sheick – モーセの十戒とサンゴ礁

エジプト視察(9)番外編:Sharm El Sheick – モーセの十戒とサンゴ礁

トップ画像:シナイ半島の海陸の様子の対比。

CBD-COP14で訪れていたSharm El Sheickは、Suezの対岸にあるシナイ半島の南端にあります。

海に面したリゾート地ですが、陸上にはほとんど植生が無い岩山だらけで、旧約聖書でモーセが「十戒」を授かったと言われるシナイ山があります。

一方で、一歩海に入った浅瀬はカラフルなサンゴと固有種に満ち溢れた豊かな海洋生態系があります。

Sharm El Sheick滞在中に、何度か素潜り調査を行いました。
11月末で大体水温27度、透明度10m+、潮流弱めだが時折うねりがあります。

エントリーからハードコーラルが一面群生。ソフトコーラルも時々混生。

潮流が弱いので枝状サンゴが発展し、透明度が高いので光合成に十分な太陽光が得られるためテーブル状になる必要がなく、壁のようなサンゴ礁として水面近くまで積み上がり、海中でしか育たないので浅瀬の平らで巨大なリーフが出来上がると考えられます。




地上は一面砂漠なのに、光合成できるサンゴ(と褐虫藻の共生系)は浅海域に森を作っていました。

それは陸上生態系からの養分供給さえ必要としない、独立した生態系であることを意味しています。
実際にサンゴの二酸化炭素吸収率は、1㎡あたり4.3kg/年といわれ、陸上の植物よりも多いらしいのです。

エジプトの森は海にある。


2018年の初夏に研究航海で訪れた南西諸島と魚種はあまり変わらず、ニザダイ、ダツ、ブダイ、クマノミ、ベラ系、スズメダイ系、その他熱帯魚系。

少し深みに出ると青魚系が多くなります。

桟橋の下にはオヤビッチャの群れ。40cm以上の大きなLion fish(ミノカサゴ)複数。

60cm以上のハコフグ。

シャコガイはうじゃうじゃ。まるでキャベツにたかるイモムシ。

こんなにたくさんシャコガイが保全されているところを初めて見ました。きっと人が食べないからでしょう。

紅海固有種のゴールデンバタフライフィッシュも見れました。

この他に、巨大なナポレオンフィッシュの仲間、メガネモチノウオとも遭遇しました。

実際に潜って生きものの営みを見ながら感じるサンゴ礁のパワーはすさまじいです。
複雑に発達した礁が様々な穴や起伏を作り、多様な生き物たちをかくまっています。
南西諸島も島が丸ごと隆起石灰岩の所(小宝島など)がありました。
陸地の生態系とは独立に光合成できる浅海域は、過去の生物にとって上陸進化のベースキャンプだったことでしょう。

Sharm El Shieckの西側には、Ras Mohammed 国立公園という広大な海洋保護区があります。
シナイ半島南岸ではどこもそうですが、陸地には植生一つない砂漠が背後のシナイ山脈まで広がっています。

わずかに潮の満ち引きで陸域に海水が入り込む汽水域では、小川沿いの薄いライン状にわずかにマングローブが残されていました。西表島でも見られる種類のマングローブです。

上陸進化の雛形となる河口生態系の原型を見るようです。

立っている台地も石灰岩が削られているので、日本のように沖積平野ではなく、おそらく縄文時代に海面が高かった時代のサンゴ礁が、海面下降で平野状に露出したものと思われます。
実際に、あまり圧力変性や化石化せずに保存されているサンゴが岩の中に詰まっています。

上流からの土砂が堆積したのではなく、サンゴ礁が隆起して海面上に出現した台地であることの証拠です。

ここから一歩海に入ると、分厚いサンゴ礁とカラフルな魚介類が舞う豊かな沿岸生態系が広がっています。

(左画像:シナイ山頂からの眺め。右画像:Ras Mohammed国立公園の海中。)

思えば、シナイ山でモーセが得たと言われる十戒は、その後巡り巡って世界的な宗教であるキリスト教へと発展して受け継がれ、それが産業革命を経て世界的な近代化の流れを作るヨーロッパ人たちの精神的支柱になっていくのでした。

この地に立って改めて歴史を振り返って思うことは、「果たして、モーセはサンゴ礁を知っていたか?」ということです。
モーセの時代は、家畜を飼うことで陸上の乏しい生態系でもエネルギーやタンパク質を得られるような生活形態が主であり、シナイ山中を遊牧しながら生活して海沿いには滅多に出てこなかったと考えられます。
フィンはおろか水中眼鏡さえ未発達で、日本の離島で世代を重ねて住むと泳げる人がいなくなるように、溺れる危険性のある海中を泳ぐこともほとんどなかったでしょうから、海の中の生物多様性とその機能・サービスの組織化のあり方について全く無知だった可能性さえあります。
そのような人間が受け取る神託には、その後の科学技術の暴走と持続可能性の問題まで果たして予見できていたのでしょうか?
神託に含まれる叡智の是非は確認しようがありませんが、結果論として、キリスト教の価値観を震源地とするglobalizationには、環境負荷の問題が不可避的に内在しています。
そのような極めて現代的な問題に直面するとき、最も潜在的な思想要因となるモーセの十戒と、エジプトにおける海陸の環境と生物多様性の鮮烈なコントラストは、現代思想においてもっと正面から取り扱われて然るべきテーマのように感じられました。

(追記:モーセが唯一海の中を見たと思われるのは、聖書の出エジプト記で有名な海を割って渡った時ですが、海水がなくなっているのであればそこで生きる生物の営みは観察できなかったでしょう。高度に発達したサンゴ礁は、海の水が無い状態では歩行困難な複雑な地形を形成しているので、もし海を割ったのが紅海であるならそれに対する記述がないのも不可解な点です。また、モーセが来た時に強風で水が引いた海はサンゴが生えない汽水域のラグーンであったという説もあります。)

陸上生態系との対比で紅海のサンゴ礁を見ると、自ら光合成して地層を築くサンゴにとって、農地から流出する肥料は無用な成分であることがよくわかります。
オーストラリアのグレートバリアリーフの研究などを見ると、農業からの土砂肥料分の排出はむしろ白化の要因となり、温暖化とともにサンゴの分布を大幅に縮小させています。
IPCCやCBDが予想するように、2030年に世界のサンゴ礁の90%が失われ、2050までに本当に絶滅してしまう自体になれば、我々は上陸進化の果てに築いた陸上生態系を砂漠化で失うことに加えて、脊椎動物としての原点の海のゆりかごさえ失うことになります。

そうさせないために、今できることは何でしょうか。
温暖化の制限と、沿岸部や島嶼部での農法転換。そしてサンゴの分布の戦略的多様化と移動による適応。
CBD-COP14の報告を聞く限りでは、現状ではこれらが全く不十分であるか、統合された取り組みになっていません。
協生農法の大きな目的の一つである、「海洋生態系の回復」のためにも、発信を続けていこうと思います。

サンゴ類はこれだけ一次生産力のある生き物なのだから、絶滅を見過ごすのではなく、協生農法をさらに一般化した「拡張生態系 Augmented Ecosystem」の中で浅海域の主力になってもらわなければならない存在です。
おいしいお魚を食べ続けるためにも。
協生農法からのアプローチとしては、サンゴ礁への肥料流出を止める南西諸島の産業復興モデルはとりわけ重要になるでしょう。