指宿

指宿

台風12号が一周して通過した直後に少し風が収まり、この隙に硫黄島を出港しました。
多少波はありますが追い風気味で、ワンポンリーフで快調に進みます。

2−3時間で薩摩富士と呼ばれる秀峰、開聞岳が見えてきました。

対岸には九州最南端の佐多岬です。

鹿児島の指宿港に着。
離島から九州本土に入った途端、海陸のインフラの違いを否応無く実感します。

ビジターバースに係留。トップ写真は翌日の夜明けです。

指宿といえば、砂蒸し風呂です。

第一レグのゴールを目前にしてひと時の休息。

久々に体重計に乗ってみると、6週間に及んだサバイバル生活で、体重が5−6kg減りました。

しかし、ベスト体重はさらに5kgぐらい軽いので、むしろ動きやすく健康的です。
特に飢餓状態はなく食べ物は十分あったので、船上生活や調査活動、そして野生の食材そのものが代謝を促したと思われます。

野人ブログ読者のそらさんとAquaさんの案内で、指宿付近の協生農法と関係のある場所を見て回りました。
指宿の南にある山川港。

鹿児島湾に南から入るとすぐ西側にある天然の要害で、薩摩藩時代には琉球を始めとする東南アジア一帯との交易の出入り口となりました。
鎖国時代に外国からの情報と富を得られる随一の港であり、西欧の艦隊の度重なる来訪と小競り合いを経て、開国そして明治維新へと突き進む日本の近代化の玄関になった場所です。

この近くには、指宿海上保安署があります。

ただの海保ですが、ここは野人・大塚さんがその昔、人命を救うために自身の正義を貫き法律と戦った場所です。
(詳しくは野人ブログの記事:護身術の真髄8からのシリーズをご覧ください。)
今一度、法律とは何か、何のための法律か、悪法も法である中で自身の正義を貫き戦うにはどのような理が必要か、協生農法を志す者にとっては考えさせられる場所です。

更に南下すると、ソテツ自生地の北限があります。
半分放置された藪の中に、ソテツがところどころ顔を出して根付いています。

指宿にて、ソテツの自生地。この種類のソテツが自生している北限とのこと。 – Spherical Image – RICOH THETA


私の父親はソテツを育てるのが好きで、私が幼い頃に海岸から砂をとってきて一緒にソテツ山を作りました。新婚旅行では南九州のソテツを見に行ったと聞いていました。おそらくこの辺りでしょう。

今でも、実家のある大磯ではソテツと共存した協生庭園を実験中です。
作業中に時々ソテツの鋭い棘に手指が傷付き血が流れると、恐竜時代の捕食圧に耐えて進化した彼らの防御機構の精巧さに賞賛の気持ちが湧いてきます。

ソテツの自生地のある丘を海から見た所。ヨットで観測すると沿岸生態系の中規模なスケールが把握できます。

ソテツ自生地には、他にもエンゼルストランペットなど珍しい植物が定着していました。

山川には、他にも素晴らしい場所がありました。
山川製塩工場跡です。

ここは火山の地熱を使った製塩所で、今でも煙を吹く製塩設備が残されています。


この施設は、文化遺産にでもすべき価値と風格があるように思いました。
地熱を使った塩づくり自体は、化学製塩に価格競争で負けて衰退していくのですが、協生理論からとらえた生物本来の塩である完全な海水塩(ムー塩)を作るためには、海水の濃縮過程で非常に有効に活用できると思いました。

今も水蒸気を吹く山川製塩所跡。地熱を使った海水からの塩づくりが昭和39年まで行われていた。 – Spherical Image – RICOH THETA

池田湖に向かう途中、激しい雨が降ってきました。
台風12号の置き土産はまだまだ我々を翻弄してくれます。

土砂降りの中、日本最古の井戸と言われる玉の井神社にお参りしました。

日本最古の井戸と言われる玉の井神社。サツマイモ畑の中に小さな森と社が残されていました。 – Spherical Image – RICOH THETA


伊勢神宮の外宮にある下御井(しものみい)神社を思い出しました。

池田湖畔の様子。その昔未確認水棲生物「イッシー」の目撃情報があったとのことですが、さしずめオオウナギのナブラが二つ並行して立つという珍しいことが起きただけのように思いました。

池田湖の北西部にある、協生果樹園の候補地。
馬頭観音の麓にある道路脇の帯状地です。

人の背丈より高く茂った草を、そらさんがわしわしと踏みならしながら案内してくれました。

池田湖畔の協生果樹園の候補地。放置された草の中に果樹が埋もれているというので探索に入る。北西側に切り立った山があり冬場の風はシャットアウトできる好適な立地。 – Spherical Image – RICOH THETA

草は高いですが、キク科が多いため草刈りはしやすく、有機物が堆積した黒土もできています。

草藪をかき分けること数十メートル、ようやく柑橘系の果樹を見つけ出しました。

結果時期ではないので味は期待できませんが、小型の原種に近い柑橘類であることは確認できました。

以前はもっと本数があったらしいのですが、なんと苗木の盗掘にあってほとんど持ち去られてしまったようです。
所有者がはっきりしない土地のため、行政側も使用したい側も管理が難しい様子でした。

他にも美味しい実がなるイヌビワも見つけました。
よく見ると大きなムカデが休憩しています。

出港時間が迫る中、最後に野人・大塚さんもお気に入りの青隆寺を訪れました。

指宿にて、真言宗の不動山・青隆寺。金剛界は青、胎蔵界は赤のカラーリングも鮮やかなモダンな寺である。 – Spherical Image – RICOH THETA


境内に石像のある帝釈天と月のうさぎの物語は、私が小学生の時の合唱団で歌った思い出があります。

この歌は自分の少年時代の心身の奥深くに刻まれており、今でも当時の練習状況がありありと思い出されます。
今聞いても、すごい歌だなと思います。

カラフルな本堂。奥に3棟続いており、内部は撮影禁止ですが、丁寧に説明してくださいます。

青隆寺では、この雨は甘露(龍を通じ雨となって降り注ぐ仏の教え)ですね、と教えてくれました。

甘露の雨は止む気配がありません。
船で寝るときに使っているゴザの枕には、白いカビが生えてきました。

裏返すと快適に使えます。