奈良尾・若松・有川

奈良尾・若松・有川

昨日までの雨もすっかり止み、雲間から晴れやかな太陽が昇ってきました。

昨夜から今朝にかけて魚釣り専門のクルーが中層の魚を大量にゲット。
釣れ過ぎたので最後は市場価格にして数千円の魚をリリースして帰ってきました。
クーラーボックス、生け簀ともに食料は満タンです。

自分も朝の奈良尾港を見ながら朝飯前の釣り。

小さなアカエソがかかりました。鋭い歯が肉食の食性を物語っています。

釣って3分で腹を抜いて焼き、イタリア国旗風に即席サンドイッチにしていただきました。

船では高級食材のコノワタが順調に風乾されていました。

フェリーターミナルでの停泊は朝から一般のお客さんが頻繁に出入りします。
ターミナルのスタッフと何やら真剣に話し込んでいるクルー。

文句を言われたのかと思いきや、今釣れる魚の情報を親切に教えてもらっていました。

雨上がりの洗濯物に包まれてもはや難民船と化した我らが調査船バーゴ・ウィナー。集落中の噂になっているいるそうです。

今日は電気自動車を使って陸の調査です。

若松島方面にわたる橋の上からの絶景。

海は透明度が高く、あちこちの水面下で大きな魚がゆったりと泳いでいるのが目視できます。

昨夜に居酒屋で偶然居合わせた窄山さんが同僚の元同僚の親であることが発覚し、一緒に島を案内してくれています。

道路脇にはたわわにルビーのように光る実をつけたナワシロイチゴ。

若松島より北西の先にある日島(ひのしま)の石塔群まで足を伸ばしました。

石塔群の歴史だけでなく、植生も併せて記録するクルー。

日島に渡る橋は海流を完全に遮断する堤防になっており、海流が淀むせいかそこに多量のゴミが漂着していました。

ゴミの溜まり方や潮のぶつかり方は、有明海のような奥まった内湾を彷彿とさせます。

韓国より流れ着いた、CO2削減をうたったマークのあるペットボトル。

企業努力だけではこれらのゴミは減らせなかったのでしょうか。

ゴミの漁具を見て何やら閃き始めたクルー。
タダで新しい漁具を作るために漂着していた浮きやロープを拾い始めました。

ゴミだらけであっても、生命は力強くあふれ生きています。
周囲と常に溶け込んで敏感に反応する小魚の群れ。

足元の砂つぶの間にも、命の骸が散りばめられています。

内湾沿いにはかつて至る所に小規模な集落が広がり、今でも存続している場所があります。
刺身のツマになるトサカノリを干したり、漁具の網を直したり、少人数ながら地元の方々がまめに働いています。

一方で豊かな自然の圧に対して人間の集落の衰退は高齢化とともに進み、街路樹のアジサイさえ食害されるほどシカの害は進んでいるようです。

家庭菜園にもイノシシよけの柵があります。

窄山さんがよく釣りに通ったというケブタ瀬。奈留島(なるしま)の横にある小さな岩です。

外海地方から逃れてきた隠れキリシタンの文化遺産の一つ、有福教会。

漆喰の白壁としっかりした木造の造りの、清楚な内部が信仰の内面を反映しているようで印象的でした。

干満の差を利用して石垣漁を行う内水面。

道路沿いのあちこちに、かつての繁栄を偲ばせる手積みの石垣が残されていました。

港にあるマグロの養殖場を見下ろす高台にある、土井ノ浦教会


ハートに荊のステンドグラスが、処刑された伝道士カリストに通じているようです。

付属の資料館には洞窟に隠れたキリシタンの信仰を伝える遺品の数々。


洗礼に使った水受けのアワビの内壁模様に、彼らは神聖さの印を見たようです。

窄山さんの話によると、土井ノ浦付近には小規模な集落がたくさんあり、それぞれ個別の漁協で活動していたため、分散多様化が進みまだ漁業が生きているそうです。
一方で、外洋の巻き網漁で西日本最大の水揚げを誇った奈良尾は、漁協が巨大な一枚岩になり幹部の汚職など組織の腐敗も重なって潰れてしまったとのことです。
逆に、人々の気質として、奈良尾では余所者がコミュニティーに入りづらいが、漁師が操業していない沿岸で素潜りをやっているぐらいは全く気にせず、逆に有川などは都会的でオープンだが、岸辺の漁業で生計を立てているため部外者が海産物を取ることには厳しいそうです。
自然資源が同じように豊かであっても、そこに成立している産業や社会構造によって、サバイバルベースで飛び込む際にはアクセス可能な資源が大きく左右されます。これらは実際に現地に入ってそこにある資源に頼って生活しようというヨット調査によって初めて抜き差しならない肌感覚として身に迫ってきます。

現地で生活している方達とのコミュニケーションは、調査を進める上では命に関わるレベルで重要です。
最初に渡った橋を下から見ると、流れが速く泳いだら流されそうな勢いです。
五島列島には秒速2mの離岸流などが数多くあり、泳げる場所を知らないで入ってしまうといかに運動能力が高い人でも流されるそうです。

左に見えているのはハマチの養殖施設です。

対岸には昔ながらの岸からの石垣で囲ったハマチの養殖施設の名残がありました。

中央左寄りにシカがちょうど出てきています。

橋の上から見たハマチの養殖施設。勢いよく水しぶきを上げて餌を食べています。

このような大変豊かな自然環境の中であっても、餌に何をやったかによって魚の肉質は大きく変わってしまいます。
協生農法を理解するときに決定的に重要になるポイントが、このような餌の違いによる肉質の違いを感じ取れるかどうかです。

五島の海・川はどこも澄んでいてきれいで、大規模な畑や水田が少なく水系に隣接していないため、表土の流出が少ないからであると推察されます。

かつて日本のどこでも行われていた里山農業は、人口が少なく小規模で行われている限り適度な攪乱によって生態系を豊かにする作用があったでしょう。
一方で、伝統的に生活に根付いた同じやり方であっても、それが人口増加とともに多くの面積を占めて水系にも過度の影響を与えるようになると、生物多様性にはマイナスの影響に反転すると考えられます。

祝言島(しゅくげんじま)の横には、巨大な石油備蓄施設が建造されていました。
何でも日本国全体の石油使用量3日分の蓄えがあるそうです。

この国家備蓄を受け入れるために付近の漁業は禁止され、漁業が廃れる代わりに補助金で生活が大幅に潤う結果となったそうです。
近代化の前後で、それまでの小規模分散型の一次産業は経済的に衰退し、代わりに集約化して遠方の資本と繋がった大規模公共事業が人々の生活を支配的に左右する変遷構造が離島では特に浮き彫りになるようです。そしてその転換が生む環境負荷は、個人が感知できる社会的な責任の範囲をやすやすとすり抜けて全球的に生態系を変えていってしまっているのです。

昼食は五島名物「五島うどん」。
あご出汁と生卵の二種類の汁でいただきます。

案内してくださった窄山さんと。

食事した「竹酔亭」の社長さんからは、お土産に乾麺のうどんをいただきました。

食後に、次の寄港候補地の蛤浜と有川を視察。
蛤浜は五島一美しいと言われるビーチです。

しかし、地元の人々の話を総合すると我々のキャンプ地としては不適と判断。

有川港に向かい、ナガスクジラの骨を門柱に使った海童神社に参拝。

境内にはリアルなクジラの骨と思われる柱も残っていました。

クジラ漁は下火ですが、クジラの加工食品は販売されています。
一種類の栄養素のみをアピールした、典型的な要素主義のパッケージがありました。

近海で捕鯨をしていた時代の鯨見山に登ります。
道なき道を進むと、

有川から魚目までを見渡せる高台の櫓に到着。

偶然その場に居合わせた、近代になってからの南氷洋の捕鯨で活躍された方が昔のやり方を詳しく説明してくださいました。(このかたはこの後訪れる鯨賓館のビデオにも登場されていました。)

昔の有川は福江藩、魚目は富江藩に属しており、この場所は有川の鯨見山です。有川と魚目の間ではクジラ・イルカ資源をめぐる争いが絶えず、江戸幕府に陳情までして地政学的な区画整備が行われ、両者が統合されて現在の有川湾となったそうです。

銛とともにクジラに飛び降りて突き刺す伝統的な漁法から、捕鯨銃を使うようになるまでを示す資料の数々。


有川の横には横浦というかつてクジラの解体場として使われた場所があります。

横裏に降りて行く途中にはクジラの慰霊碑。

ここにも紀州・和歌山から渡来した漁師のルーツが記されていました。

道草の陰にはアカテガニ。

咲き並ぶナデシコの花。

ところどころに世界の侵襲的外来種ワースト100にも登録されているダンチク。

付近の海岸は温泉分で変色したと思われる特徴的な砂岩が連なっていました。

巻貝によって侵食され穴だらけになった砂岩。(後日、これは巻貝によるものではなく「蜂の巣状風化」という珍しい浸食現象であることを教えていただきました。)

阿蘇で習った海水に浸されることで腐蝕されにくい状態になった竹が漂着していました。

一部を畑用の資材として持ち帰ります。

海岸の典型的な食用植物、ツルナ。

今日は直射日光が強く熱中症気味だったため、塩味のする草は体調回復に非常に役立ちます。
また、真水だけでは脱水が進むので水に綺麗な海水を1/3ほど混ぜて浸透圧の調整を計る必要があります。

次の寄港候補地だった有川港のフェリー桟橋は、一見奈良尾と変わらない好条件に見えますが、ヨット歴50年の船長の見立てでは外洋からの波が強く、北向きの入り江に北風が吹き付けているため、ヨットの停泊には不適と判断しました。

地元に何世代にもわたって住んでいる方々に聞いても、最終的には実際にその地の状況を見て自分たちで判断しなければならないのがヨット調査の面白いところです。
社会・生態系の双方がそれほど密接に関わった結節点の上で生きて行くことを常に強いられるからです。

最後に立ち寄った有川の鯨賓館。

伝統的な漁の時代から、ノルウェー式の爆薬付き銛を発射する近代になるまでの過程が詳しく展示されています。
特にクジラの活用法を示した図は、あまりにも多岐な利用法とクジラの身体がパーツ毎に対応しており、昔日の知恵に驚嘆します。

日が沈む頃、三日間お風呂に入れていない女性クルーを温泉施設に連れて行きました。
海外からキリシタンの遺産を見学に来る観光客や、芸能人が多く訪れる高級リゾートです。

内部の料金表から観光産業の経済水準を知ることができました。

自分も洗濯をしようかと思ったのですが、三日間着続けたシャツも、海の微生物のおかげかあまり洗う必要もなくサラサラでした。

同時に、ポリエステルにしろ、コットンにしろ、竹布にしろ、今回使用した生地は皆それぞれ互いに良きライバルとして切磋琢磨した結果の品質であることにも思い至りました。
現状の被服産業は持続可能性から程遠いのは確かですが、この水準に至った努力をこの先どう転換して行くべきか、考えるベースラインの一つを知ったように思いました。

夕食は先日トローリングで釣り上げたシイラのフライがメインディッシュです。奈良尾の漁師はシイラを捨ててしまいますが、特製タルタルソースで奈良尾在住の窄山さんもおかわりする美味しさに仕上がりました。

食後はクルーによる野点。

ヨットで夜遅くまで、窄山さんにより深く五島の歴史について伺いました。

連日運動量が多く、湿気や暑さで体力も消耗しますが、食事が美味しく体重は1.5kgほど増えています。
Apple Watchも運動量が多いと評価してくれているようです。

満月が欠け始めました。もうすぐ月夜間が終わり、漁船が出航していきます。