硫黄島(2)

硫黄島(2)

一夜明けて、レースに参加したヨットたちは早朝から続々と出港していきました。

台風12号が本州を横断したのち九州北部に接近しつつあり、時折突風が吹き始めています。

一艇一艇、島の人たちが船名を呼びながら手を振って送り出してくれます。

徹夜続きで準備、運営、送り出しと本当にパワフルで温かい人たちです。

我々の船だけ西の風上周りで鹿児島に向けて進路をとりました。
島を抜けた後にアビームの風を受けるためです。
ところが出港して島影を出るにつれ、どんどん風と波が高くなってきます。

向かい波ですが、ついに後部デッキに上から波がかぶり始めました。
この後鹿児島方向に進路をとると、完全に向かい風でセイルが使えないだけでなく、大きなうねりを横から受けて操船が不可能になります。
やむなく元来た硫黄島の長浜港へ引き返すことにしました。
戻るのも、追い波でブローチングすると舵が利かなくなるため、蛇行を抑えるのが一苦労です。

長浜港の船溜りでは一夜の喧騒もつかの間、再び我々の船だけになりました。

風下の東側から回った他の船も、竹島の港へ避難したようです。

食糧はトローリングでゲットしたキハダマグロが十分にあります。

午後からは、島在住の大町さんの案内で島を散策しました。
硫黄島にも平家の落人伝説があり、梵字の刻まれた古いお墓があります。

硫黄島にて、平家の末裔と呼ばれる人たちのお墓。梵字が刻まれている。 – Spherical Image – RICOH THETA


更には、壇ノ浦の合戦で7歳で水死したはずの安徳天皇が実は生き延びていてこの地で生涯を終えられたという安徳天皇陵があります。
硫黄島には確かに立派な熊野神社があり、東温泉の近くには那智の滝になぞらえた滝もありました。

果たして、この地に本当に朝廷が匿われていたのでしょうか?
安徳天皇が実際生き延びていたか、どこで没したかは諸説あるようです。

硫黄島で生きた「安徳天皇」のお妃は島の人間とのことで(しかし、ネット上には「ともに落ち延びてきた平資盛の娘である櫛匣の局」との記載もあり)、安徳天皇陵から少し離れた場所に大きなクロマツの巨木とともに梵字の刻まれた石塔が立てられています。
まるで宮本武蔵が書いた五輪書に出てくるような5段の石塔です。陰陽五行との関連性が伺えます。

硫黄島で生き延びたという安徳天皇のお妃の墓。クロマツの巨木の横に五段の石塔が建っている。お妃は島の人間と言われたが真偽は不明。 – Spherical Image – RICOH THETA


そして横のクロマツは壮健で太く、枝ぶりに力があります。樹齢200年以上あるのではないかと言われています。

島の他の場所では、奄美大島以北ほとんどすべての島で観察してきたマツクイムシによる松林の枯死現象があります。

安徳天皇陵のクロマツはなぜ健全なのか、樹齢の違いか環境の違いか興味深いところです。
(安永孝さんによると、島の西部の牧場地帯のクロマツ林にはマツクイムシが入って枯れており、それ以外のところのクロマツはあまり枯れていないとのことでした。)

島内の竹藪やツバキ園には、ヤマハが放ったクジャクが生息しています。
時々大きな鳴き声が聞こえますが、人を恐れてなかなか近寄らせてくれません。

硫黄島には、「大名竹」というブランド商品があります。
この大名竹ですが、トカラ列島にもたくさん生えていたリュウキュウカンザンチクであると書いてあるサイトと、別のトウチクという種類であるとするサイトと二種類あるようです。


野人・大塚さんの経験では、大名竹とリュウキュウカンザンチクのタケノコでは味に明らかな差があるとのことですが、島の人(大町裕二さん、安永孝さん)に聞いた情報では「大名竹はリュウキュウカンザンチクのタケノコ」で一致しており、トカラ列島の物に比べて硫黄島ではタケノコにえぐ味が少ないそうです。
硫黄島の大名竹は東京・築地市場内の東京シティ青果に卸されているそうです。

安徳天皇の子は長浜天皇と呼ばれており(ただし実際に天皇に即位したわけではない)、この地区は長浜、港も長浜港と呼ばれています。
長浜港を斜面の中腹から見下ろすと、ここがかつて大噴火を起こした鬼界カルデラの巨大な噴火口の縁に位置していることが見て取れます。
昨夜打ち上げパーティーを行っていた広場の岸壁は、そのまま世界最大のカルデラ壁の一部だったのです。

島の西側の大浦港には、カルデラ噴火の火砕流が幾重にも重なった地層と、それらが自身の熱と重みでV字型に圧縮変形する「溶結」と呼ばれる現象の切面が露出していました。

硫黄島西部の大浦港。素潜りに最適なスポットだが、今日は北からのうねりで荒れている。対岸には溶結して中央部が凹んだ火砕流の地層が見て取れる。 – Spherical Image – RICOH THETA


(大浦港は、かつてヤマハのクルーザーが停泊していた場所でもあり、野人・大塚さんも度々管理に訪れたそうです。)

島の西部には、諏訪之瀬島と同様にかつてヤマハが建造した空港があります。
今でも健在で週2便が運行しています。

周囲には、島の基幹産業であるウシの放牧地が広がります。
傾斜のきついトカラ列島とは異なり、ゴルフ場ができそうなほどの広さがあります。

ここも、かつてヤマハが開発した牧場の跡地だそうです。

恋人岬から見た長浜地区。
(元の名前は永良部岬ですが、村長の兄がプロポーズに成功してから恋人岬になったようです。)
大町さんに釣りのポイントや魚種、漁業権の設定種や禁漁時期などを教えてもらいました。島でよく取れるイセエビだけでなく、岩にびっしりと生えているカメノテにも漁業権が設定してあります。

硫黄島にて、恋人岬から長浜地区を望む。潮目の状態、釣りや素潜りのポイントなどが一望できる。 – Spherical Image – RICOH THETA

硫黄島にも、魚屋は一軒もなく、兼業の漁師が出漁するときに直買いするか自分で釣るしかないそうです。
カツオの入れ食いが起きると、島内放送をかけて皆さんに買ってもらうこともするそうです。

長浜港に帰って、東側の磯松崎のテトラ付近の水中撮影を行いました。
硫黄成分で濁った表層水の下には、より透明な沖からの海水の層がありました。

海中に没していますが、ここもまた鬼界カルデラ壁の一部のようです。
岸から数メートルで10メートル以上落ち込むどん深になっています。

後に鬼界カルデラのジオラマ模型で確認すると、確かに崩壊したカルデラ壁の部分です。

濁った水の中でも、ウミガメや7−80センチ級の太刀魚が生息していました。

港では、船溜りの浅瀬でSacanaがハタ類の自己記録を更新する大きなチャイロマルハタを釣り上げていました。

台風12号が来ても十分な量の食糧がクーラーボックスに満タンです。

口永良部島でブダイのお礼に頂いた上等な日本酒と、キハダマグロのセビーチェで夕食にしました。

諏訪之瀬島のタヒチライムと焼酎が、夕風とともに暑さを吹き飛ばしてくれます。

今夜からはかなりの雨量が予想されています。
第一レグ完走までまだまだ気が抜けません。