硫黄島(1)

硫黄島(1)

台風12号が前代未聞の針路で迫っています。
東京、伊勢志摩、そして福岡を直撃する東から西への本州横断という奇妙な動きは、ヨット経験50年の花田船長でも見たことが無いものでした。

(上図:右から左へ時系列順に台風の進路予想。)
九州南部の豪雨が予想され、我々もその直撃を喰らうことになります。

食糧を確保しつつ、急いで鹿児島方面へ北上します。
トローリングでは、シイラとキハダマグロ二匹をゲットしました。



数日間はサバイバルするのに十分なタンパク質です。

フルセイルで黒潮に乗り、船は快調に進みます。

硫黄島に向けて、フルセイルで黒潮に乗り快走。 – Spherical Image – RICOH THETA


風で船が30度ほど傾いています。

硫黄島の硫黄岳も、噴煙を吹く活火山です。
硫黄島と隣の竹島は、世界最大規模の鬼界カルデラの外輪山で、100万年規模で活発な活動を続けている場所です。

これまで地球史上の生物大絶滅の多くが火山活動により引き起こされていることを考えると、数万年規模では我々人類を一掃してしまいかねない脅威を秘めた場所なのです。

硫黄島港の中は、流出する硫黄で赤茶けています。

硫黄島港に到着。港内は流出する硫黄で赤茶けている。雲の陰の硫黄岳は常に亜硫酸ガスを吹いており、果樹を植えても枯らしてしまう。 – Spherical Image – RICOH THETA


硫黄島は、かつて野人・大塚さんも勤務したヤマハリゾートがあった場所で、元同僚の安永さん(右)と徳田さん(左)にお会いすることができました。

「あいつは海のことしか頭になくて、どこでも潜っとったよ〜」
と大塚さんと働いた過去を懐かしげに語るお二人。

滞在予定が半日しか無いので、レンタサイクルで島の東部の調査に出かけました。

ギニアのジャンベを教える学校。
奄美大島の田中一村美術館以来、トカラ以北で初めて見る芸術関連の施設です。

有名な東温泉。
イエローストーン公園のように、温泉内部で生きるシアノバクテリアにより緑に見えます。
温度調節が難しく熱めの湯ですが、雲がかかってくれて快適に入れました。

硫黄島の東温泉。 – Spherical Image – RICOH THETA


(しかし、かつて硫黄の精製工場だったこの建物は、経年劣化で耐震構造に欠陥があり、現在は学校として使われていないそうです。また、硫黄島の硫黄産業も、韓国産の硫黄による価格競争に負けて衰退したとのことです。)

硫黄島には、野人・大塚さんのブログにも出てくるヤマハの「俊寛弁当」の元になった俊寛ゆかりの地があります。
苔むした竹藪の中の小道を進むと、平安時代の僧、俊寛が失意のうちに生涯を閉じた住居跡の俊寛堂があります。

硫黄島にて、俊寛堂に至る苔の道。 – Spherical Image – RICOH THETA


その後、島の中央部の盆地に行くと、噴煙を上げる硫黄岳、切り立った峰々が連なる矢筈山、背後に稲村岳が一望できる場所がありました。

硫黄岳、矢筈山、稲村岳が一望できる硫黄島の中央の盆地。 – Spherical Image – RICOH THETA


付近にはリュウキュウチクだけでなくハチジョウススキが群生しており、

クロマツ群落や、

ヤブツバキの栽培地が各所にあります。

大谷(ウータン)という場所の造形。

大谷(ウータン)という場所の造形。大願成就する場所らしい。 – Spherical Image – RICOH THETA


掘ると温泉が出てくる場所だそうです。

平家城(へいけのじょう)ジオサイトでは、鬼界カルデラの最新の噴火前後の一連の火山性堆積物の地層を観察できます。

火砕流により閉じ込められ、高温高圧で岩石化した木炭を含むと思われる黒い地層。

九州の縄文人を絶滅させ、東北地方にまで火山灰を積もらせたカルデラ噴火がいかにすさまじかったかが大地に刻まれています。
人類は、果たして次の大噴火を生き残れるのでしょうか?

平家城展望台からは、穴之浜温泉や天気が良ければ遠く開聞岳・昭和硫黄島が望めるそうです。

平家城展望台。硫黄島だけでなく、天気が良ければ遠く開聞岳、昭和硫黄島、鬼界カルデラの海域が一望できる。 緑と乳白色濁っている場所は穴之浜海中温泉。 – Spherical Image – RICOH THETA

硫黄島港に戻ると、なんと我々しかいなかったところに多数のヨットがひしめていました。三島村営の大型フェリーまでやってきています。

第22回三島カップに参加した24艇のヨットが硫黄島港に集結。我々はフリースタイル参加ということでパーティーに混ぜてもらいました。 – Spherical Image – RICOH THETA


今日はたまたま年に一度のヨットレース「三島カップ」の日で、枕崎から竹島目指してゴールしてきた船が打ち上げパーティーのために続々と集結してきたのです。

反響が抜群の溶岩壁をバックに、夜の打ち上げパーティーが始まりました。
人口100人の硫黄島ですが、今宵一晩は島の人口が4倍になります。

大型フェリーは関係者の宿泊用に開放されていました。

昼に見たジャンベ学校の演奏家たちがフィナーレを飾ります。

今まで自販機もトイレも貴重で売店も無かった場所から、大量の人と食べ物に囲まれてかなりのカルチャーショックを受けました。
三島村の人々にとっても、毎年22年間続けてきた、村を挙げての一大イベントです。
運営が素晴らしく、三島村の人々のおもてなしごころと団結力の強さを感じました。