桜自然塾の視察旅行に参加(4):鹿児島県指宿市

桜自然塾の視察旅行に参加(4):鹿児島県指宿市

指宿(いぶすき)に新設予定の協生農園候補地に向かいます。

車を農道に止めて、周囲の地形や植物を調べながら耕作放棄地となった奥へ入っていきます。

細い道沿いには様々な有用植物がありました。

イヌビワのメス木。
サルトリイバラ、別名は山帰来。
香りが良いヤブニッケイ。
ゴヨウアケビの花。
シロダモ。
赤いけれどもこれもシロダモ。
大きなクワノキ。途中のパーキングエリアでもマルベリー茶として売られていました。
カタバミの葉と花。
ウマノアシガタ(キンポウゲ)。薬にもなりますが、毒性が強いので要注意です。
ツルソバ(マメヅタイモメン、イモンメー、イボンベと様々な地方名があるようです。)種子島ではイモメンと呼ばれていました。
巨大化しているスイバ。
カラスザンショウ。ミカン科なのでアゲハの幼虫がつきます。有毒植物ですが、野人さんは昔新芽をタラの芽と間違って食べてしまったそうです。
花の蕾の形が特徴的な、ホウロクイチゴ。
胃薬になるアカメガシワ。

 

左右に盛り上がっていた藪が開け、農園予定地が見えてきました。

元々グアバの苗木園として使っていた場所で、今でも400本を超えるグアバの果樹が残されています。

この場所にはピンクと白の二品種が植えられています。2−3年に一度下草を刈る以外は放置状態で管理されているそうです。

収穫されることもないまま取り残された実が枝についていました。

渋いものもありましたが、無肥料で放置されたクリアで透き通った甘味もいくつかの実で確認できました。

グアバの単作にせず、半分を他所に移植して他の果樹との混生果樹園にするための戦略を練る野人さん。

グアバ園内には他にも色々な有用植物が入っていました。

九州以南で餅を包むのに使われているゲットウ。全草が活用可能です。
枯れても種が残っているヤマノイモ(自然薯)の蔓。
フキの大株。周囲の農道にはフキノトウも出ていました。
下草の様子。イモメン、カラスノエンドウ、シダ類など、日陰で湿気の多い様子が見て取れます。
キク科野草も混生しており、イネ科が少ないので草管理はしやすいはずです。

 

更に南に進むと、完全に放置されて草薮に覆われたもう一つのグアバ園がありました。埋もれていて見にくいですが、ピンクのグアバの木が並んでいます。こちらも苗木用として使われていたようですが、草が高すぎて入るのも一苦労です。これから気温が上がるとマムシなど毒ヘビにも注意しなければいけません。

藪に覆われ農園の上流には、やはり草に覆われた持ち主不明の畑がありました。サカキが整然と植えられて残っています。

更に上流には、ガジュマルの巨木が斜面一帯を見守るように聳えています。

斜面の下は海です。この辺りはドン深であまり泳げる場所がありませんが、ちょうど浅瀬が張り出している棚があって、夏場の水浴びには良いかもしれません。

付近の竹やぶを調査する野人さん。どこも耕作放棄されて藪に覆われているので、交渉次第では同じ斜面一帯にはいくらでも農園を拡張できそうな場所です。

その後、管理者の方々と簡単な戦略の方向性の確認と打ち合わせをして今回の主目的であった農園視察は終了しました。

農道入り口のソラマメ園が、元々はグアバの本果樹園だったようです。

 

 

ーーー番外編ーーー

天文館の居酒屋で、タバコの煙を耳から吸って口から出す特技を披露する野人さん。

40年前のトカラ列島時代に、月に三日だけ鹿児島に戻り、天文館で豪遊していたそうです。

当時は行きつけの居酒屋やお気に入りだった雀寿司で食事をした後、スタンドバー、今や老舗となったシャンソンクラブ「ソワレ・ド・パリ」で過ごしていたとのこと。

当時の歌手はいませんでしたが、今でも2代目を引き継いだ方が続けていました。

野人さんが若かりし頃のシメは、決まって「貝汁とわっぱ飯」だったそうです。その山椒という店は今でも老舗として健在でした。

 

今回の視察旅行は、生態系や農園候補地の検分に止まらず、平素から協生農法の社会実装に邁進している桜自然塾の面々のルーツを訪れる旅でもありました。同行したエステティシャン・今野華都子先生を初めとして、現地ではスタッフゆかりの様々な方にお世話になりました。厚く御礼申し上げます。