サハラの呼び声: 5. 命の天秤
- 2019.02.25
- サハラの呼び声 ーアフリカ・サブサハラにおける協生農法の挑戦ー
「アンドレ。お前は死が怖くないのか。いつそんなつまらん悪党どもに殺されるかもしれないのに、それでも護衛もなしに行くのか」
「マサ、俺は神を信じている。神に全てを委ねて楽しく行くだけだ。」
「そんな言葉は聞きたくない。だが絶対に死ぬな。お前が死んだらこのプロジェクトは終わる。何としてでも後に続く人々に道を残せ」
電話越しに、私はアンドレと怒鳴りあっていた。
危険を顧みずにブルキナファソ東部の実験農園に向かうというのだ。
東部のタポアに位置する我々の実験農園は、相変わらず孤立していた。
洪水によって寸断された道路は復旧が進まず、乾季に入っても現地の治安状況はますます悪化していた。
恵みをもたらす雨も、砂漠では洪水となってインフラを破壊する牙を剥き、追い打ちをかけるように旱魃が再び地表の植生を枯らしていた。
深く根を張った大きな樹木以外は、小さな草から枯れてしまう。乾燥で固く締め付けられた大地の上で、武装した盗賊が日中から跳梁し、街道沿いの店は次々と閉店し疑心暗鬼が徘徊していた。
そんな中で、雨季の間に築いた協生農法の森は、乾季に入っても青さを保ち、我々の仲間は限られた資源と情報の中で農園を守り、生産を続けていた。
乾季でも枯れない森。それは、新鮮な食べ物を生み出してくれるだけでなく、此処に生きる人々にとっては何よりの拠り所となる心の灯火でもあるのだ。
我々の計画の自律的な継続には、タポアの農園がどうしても必要だった。それにはアンドレが再び現地入りして、舵取りをしなければならない。農園に残された人々もそれを渇望していた。
それは危険な賭けでもあったが、現地の人々にとっては選択肢のない日常でもあった。
そこに生きている限り、どんな場所にもリスクはある。どんなに準備をしたとしても、人の天命は測れるものではない。
問題は、自分の命を天秤にかけて、何を受け容れるかということなのだ。
その二週間後だった。タポアに向かった彼は危険地帯で野盗の襲撃に遭い、バイクから引きずり倒され右腕に負傷した。幸い奪われたのは200ユーロ相当の現金のみだったが、皮がずり剥けた半身の手当を受ける彼の写真は、我々が直面している現実を鮮やかな赤で描き出していた。
後に現地の銀行の問題でシンポジウムの支払いが滞り、彼が警察に収監されそうになった時も、牢屋の中の方が東部地方をウロウロしているより安全だろうなどと思ったものだ。
人の傷は、時に自分が受けるよりも痛い。
「マサ、心配はいらない。命はここにある。」
彼の肉声が再び私を衝いた。弱っているが臆していない。私は彼の決断を尊重した。
「200ユーロなら、お前の農園で一週間働かせれば稼げるな。どうだアンドレ、野盗を捕まえてきて農民に改心させるか。」
「それは傑作だ。俺もそんなことを考えていた。」
シンポジウム抄録の作成は急ピッチで進んだ。各省庁からの支援を取り付けて、新しい研究所をサブサハラに設立し、研究と実装の両方で突破口を見出そうという壮大な計画が動き始めた。困難の中で夢を語る時に人種や国境は関係ない。我々はあがきながらも遥か彼方を見据えて進み始めていた。
私はありったけの知識を動員して論文や報告書を書き、学術的なサポートに徹した。
並行して、遠隔地をつなげる情報支援技術の開発も進めた。現地に持ち込んだサーバーと通信機器が人々をつなげることは明白だった。
年が明ける頃、パソコンに向かいすぎて片目の視界が無くなったことに気づいた。見えない目で、私はまだ見ぬ農園に想いを馳せていた。
ー続くー
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