何故、研究航海か?(1)
- 2018.05.29
- 研究航海
2018年6月より開始する研究航海に向けて、準備を進めています。
今日は、何故この研究航海を着想するに至ったかについて記しておこうと思います。
協生農法を始め、生態系や持続可能性に関する研究を続けていくと、様々な矛盾に直面します。例えば、研究者が言っていることと現場の人が感じていることには大きなズレがあります。
ある研究者が、陸域の物質循環が研究テーマの中心で、生物多様性についてはあまり知らない人だった場合、「日本は排水規制が70年代に整備されて、それから沿岸部の水質は良くなっている」ということを言ったりします。
それは一面的には正しいのですが、例えば工業廃水以外の農場からの肥料流出や、台風による下水システムのオーバーフローが異常気象で増えている問題や、さらに護岸工事による浄化力の喪失などの複合的な要因を考えていないため、結果的に現場の漁業者が感じている「昔に比べて魚が減った、海が汚れた」という実感と乖離してしまいます。そして研究者にそれを指摘すると、「漁師の言うことなんか客観性がない。日本では魚を取り過ぎてしまっているのは事実だから、むしろそのせいではないか」といった返事が返ってきたりします。
また、協生農法が展開している場所の一つであるアフリカ・サブサハラでは、農業をはじめとした開発による砂漠化の進行が問題視されています。一方で、衛星データから見ると、サハラは長期的な緑化トレンドにあり、植生が今後回復していく予想が立っています。
衛星データだけ見ている研究者は非常に楽観的な予報をする一方、現地で活動している人たちは、年々悪化する不適切な農業による伐採や天候不順による作付けの失敗との戦いを強いられています。その間に適切な対話や現地の問題の解決に向けた建設的な協議はなかなか成立せず、それぞれが別の分野で別の仕事をしている状況が続いています。
一流の学術誌に乗っている研究結果は、過去のデータやモデルを基に未来の予測をするわけですが、この世界というのは人間と自然が相互に影響し合っている複雑系です。人間の世界の発展と自然生態系の振る舞いを切り離してシミュレーションするなど、どこかでずるをしないと予測ができないのです。
どんなに大規模なデーベースや精緻なモデルを持ってきても、未来予測には限界があります。それは、我々人間がどのように行動していくかによって、社会も生態系も大きく変化し、それがもはや自然変動よりも大きな影響力を持つ時代(研究者によってはこれを「人新世」と呼びます)になってしまったからです。
客観的な観測によるデータを積み重ねて検証する一方で、それらには観測の前提条件という制約があり、現実の問題を解決するには、その現実の中で生活している人々の実感や行動様式も排除してはならないでしょう。
これは、社会学などでは常識的に取り扱われる問題定義ですが、自然科学からは論文の客観性を重視するあまり故意に抜け落ちてしまうことがある認識です。
人間の意志が、未来を大きく左右する。そんな根本的なことも、主観的な要素でありエビデンスが得られないというだけで、客観性を信奉する科学においては前面に出してはならない圧力がかかっているのです。
協生農法の研究を進め、ある程度のエビデンスが出てきた時、「このまま、客観的に論じられることだけで論文を書いているだけの研究者になって良いのだろうか?」という問いに直面しました。
それよりも、現地で一体何が起きているのか、主観も客観もバイアスも含めて、一度自分自身で経験してみなくてはならない。それは問題解決を志向するためには最も簡潔で根本的な態度だと信じる一方、従来の論文ベースの科学者の評価システムからは抜け落ちていて、専門家として評価されるにはあまり得にならない視点でもあるのでした。
しかし、同時代人に評価される個人の業績よりも、未来に対する貢献を前提に考えなければ、持続可能性という問題は解けないのは明らかでしょう。
「座して客観性を論じる専門家になるのはやめよう。」
「間違いを含んでいたとしても、結果的に問題解決につながる一手を打てる人間になろう。」
そう決意した時から、研究航海の原型となるアイディアが徐々に生まれてきたのでした。
ー続くー
舩橋真俊
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