ソニーの「社会課題と技術」特集に対談掲載
舩橋真俊が、ソニーの社内特集「社会課題と技術☆最前線」にて対談を掲載しました。許可を得てここに転載します。
- 1. 社会課題と技術☆最前線 「生物多様性と社会課題」
- 1.1. 社会課題への根本的なアプローチとして始めた協生農法
- 1.2. アフリカでの活動から見えた、社会課題への国内外の姿勢の違い
- 1.3. 今後の日本社会の在り方、そして科学の新たな役割
- 1.4. 現状からのアプローチでは解けない社会課題
- 1.5. 文化を起こし、それを支える技術を提供できるのがソニー
- 1.6. 世界の認識を揃え、事業活動に落とすアプローチが必要
- 1.7. 突然降ってきた新型コロナウイルス問題は、経済と環境問題の関係に性質が似ている
- 1.8. 感染症は自然を理解するチャンスと捉え、人類の文明の礎に
- 1.9. 長期的な価値を世の中に実現するためすべきこと
- 1.10. 人も生態系も感動する世界をソニーの方々と作りたい
社会課題と技術☆最前線 「生物多様性と社会課題」
対談参加者:
舩橋真俊(ソニーコンピュータサイエンス研究所リサーチャー)
島田啓一郎(ソニー株式会社 主席技監)
「社会課題と技術☆最前線」シリーズは、ソニーの社内技術による社会課題解決への貢献をテーマにしています。ソニーが取り組んできた技術活動は、映像・音楽・ゲームなどのコンテンツエンタテインメント産業に向けたものが多かったのですが、実は社会がデジタル化していくと、同じ技術でも社会課題と言われているものとの関係が深くなっていきます。例えば、今回の対談では新型コロナウイルス感染症対策のために遠隔会議システムを利用していますが、これを実現するための映像技術や音響技術・通信技術も社会課題の解決法の一つとして提供されています。ソニーがテクノロジーを通して社会課題解決にどう向き合うのかを、この対談シリーズを通して考えていきます。第3回目の今回は、ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)の舩橋真俊さんと「生物多様性と社会課題」をテーマに議論したいと思います。
社会課題への根本的なアプローチとして始めた協生農法
島田:
舩橋さん、お忙しい所時間いただきありがとうございます。改めてとなりますが、ご存じない読者の方のためにも、ご活動内容に絡めて、社会課題についてのお考えをお聞かせいただけますか?
舩橋:
何が社会課題かという捉え方は人それぞれ立場があると思いますが、思想の自由や経済活動の自由など自由にあふれた社会を実現するために、各個に良かれと思って動いていたのでは解決できない社会課題というものがある、という風に私は考えています。これは、社会学では「社会的ジレンマ」として知られています。端的に言いますと、環境問題のように非常に因果関係のネットワークが複雑な問題には、全体の目標なしに政府や企業が個別に部分的に努力しても太刀打ちできない状況が起きており、科学、工業、経済が発展した21世紀に非常に特徴的だと思っています。このような広範な因果関係を含む、さらには自然生態系も含むような社会課題解決を考えていた時に、一種の消去法で結局は食料生産が変わらなければ、対症療法ではない根本的なアプローチができないという風に十年位前に考え、協生農法(Synecoculture)というものを研究しております。
島田:
これまで10年間の間で、世の中的にはSDGs(持続可能な開発目標)が掲げられるなど社会課題への意識が変わってきていると思いますが、何か変化を感じられた事もありましたでしょうか。
舩橋:
2045年までには必ずやらなければいけない社会課題解決として設定しましたので[1]、私自身の中で特に変わっていることは無いですが、取り巻く周りの反応は徐々に変わってきています。それはどちらかというと、食料生産を現在やっている農家や農水省、農業系企業というより、直接関係はしないさまざま異業種の方々から興味関心が寄せられています。農業系の中で一番早く関心を持たれているのは企業系の方ですね。
海外の政府機関もしくは国際機関はこの5年ぐらいの間でかなり積極的に関わるようになっていまして、日本と世界の間で吹いている風が随分違うなと思っています。海外では政府、国際機関、NGOから積極的に協生農法への問い合わせがあり、日本国内は主に企業や学術団体から問い合わせがあるという状況です。
アフリカでの活動から見えた、社会課題への国内外の姿勢の違い
島田:
日本と海外の社会課題への意識の違いはどこから来るのでしょうか。
舩橋:
国によっても違うので一概には言えませんが、世界中には生物多様性の喪失や環境問題、気候変動の矢面に立ち始めている地域が存在しており、そういったところから問い合わせが来ているのだと思います。いち早く対策を考えている政府や国際機関などには協生農法というのは受け入れられています。一方で、日本ではまだそういう危機的な状況が顕在化されていないのではないかと思います。
島田:
実際に新興国、発展途上国にも訪れられていると思いますが、社会課題解決への意識の観点で日・米・欧との違いはあるのでしょうか。
舩橋:
発展途上国の場合、まず明日食べるものをどうやって作るか、また自分達の環境が開発に伴ってどんどん劣化していく様を、人々が常に身に染みて感じているので、重大な問題になっているという危機意識がより強いと思います。日本の場合は、元々自然が豊かですし、そういうことを考えなくても今日食べるものはあるし、明日も、おそらく数年後も食べるものはあるように全て人任せにしてできています。そうして自分がやっている仕事・課題だけに集中できる環境が整っているため、公共の場で食料生産の根本的なあり方がきちんと議論される機会が少ないのではないでしょうか。
またその取り組みのソリューション自体も全然違ってきます。例えば途上国では簡単な肉体労働できちんとした収入を得られるような、過度の労働による健康被害や経済的搾取に陥らないディーセントワーク(decent work)と呼ばれるようなソリューションが非常に強く求められます。ただ日本や欧米では軽微な肉体労働でそれなりのサラリーを得る社会構造がそもそも失われていますので、同じことは先進国でやっても単独では有効なソリューションにはならない、という違いがあります。
島田:
アフリカのブルキナファソで活動をなさっていますが、そこでの活動を始められたきっかけは何だったのでしょうか?
舩橋:
最初に日本の生態系で実験をしており、そこから農学と生態学でそれぞれ異なっている生産性の定義を一つに繋げる理論というものを作りました。これは生理最適と生態最適の統合理論と呼んでおり、論文を出版しています [2]。この理論を用いると、日本のように適度に温暖で降水量も豊富な恵まれた環境より、砂漠化の問題があるような気候的に非常に厳しいところでの方が、普通の慣行農法と比べた時に協生農法の利点・威力・生産性・環境回復効果を発揮できるという予測が立ちましたので、厳しい条件の典型的な例としてサブサハラのサヘル地域に導入して実験しようと思ったのがきっかけです。現地でNGOと連携し、実際に実験を始めたのが2015年の始めぐらいです。
外部からの国際支援の枠組みではなく、地元に密着したアフリカ人自身によるNGOが協生農法の原理を理解した上で自ら実装してくれたおかげで、3年ほどの実験で理論を上回る成果が得られ、理論の上方修正が必要になりました [1]。ユネスコや現地政府の支援も得て、国際学会も5回開催しました。気候も環境も社会情勢も大きく異なる場所での社会実装は、外部からどんなに高度なテクノロジーを持ち込んでもうまくいかず、やはりそこで生活する人たちの自発的な変革の意思に沿って科学・技術が支援していくことが重要であることを実地で学びました。
今後の日本社会の在り方、そして科学の新たな役割
島田:
それらの経験を踏まえて、今後の日本の社会にとってどのような変革の選択肢があり得るのでしょうか?
舩橋:
現時点での農業セクターに依拠した六次産業化(農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売など第二次・第三次産業にも業務展開している経営形態)では、戦後の産業構造の高度化に伴って生じた格差に対するやや対症療法よりの考え方に留まります。実際には、根本の生産原理が慣行農法のままですので外部資源に強く依存し続けてしまいますし、モノカルチャーによる生産の安定化と環境破壊のトレードオフからも抜け出せません。Society5.0などスマート社会に向けた政府のイニシアチブも、持続可能性の基盤となる生態系プロセスについて対象化されていませんので、PoCを超えて真に持続的かつスケール可能なインフラを構築することは難しいでしょう。
日本の持続可能性を総合的に考えるなら、今後の分散型社会への移行を支える形で、水循環で繋がっている流域単位で農林水畜産業全てを循環させながら、リモートワークなど都市部の経済圏とも繋がった複数の仕事を組み合わせるライフスタイルの転換が必要になります。民主主義が政治的判断に関わる時間を投票などの形で全国民に要請することで独裁を防ごうとするように、健全な自給率を達成できる食料生産のためには、全ての職種の人々に、その生活の何%かを生態系保全や食料生産に貢献する活動に振り向けてもらう必要があります。例えば、全ての産業セクターに労働時間の数%を生物多様性と食料生産に関わる市民科学を支援する活動に義務付けることで、個々のセクターでの短期的な生産性を失う以上に、長期的な持続可能性や生活の質を高めることができると考えます。さらに高い相乗効果を求めるなら、協生農法や拡張生態系による自然資本の再生産をうまく社会構造の変化と噛み合わせることができれば、短期的にも長期的にもプラスの価値を生み出す機会は十分にあります[3]。
これらは、3世紀前にモンテスキューが『法の精神』において、民主主義を独裁から救うために処方した立法・行政・司法の三権分立の仕組みでは制御しきれなかった環境問題に根本的に対処するために、産業革命以降急速に発展した科学を4つ目の独立な権力として民主的な意思決定の中枢に組み込んでいくという、現代社会の存立構造まで踏み込んだ改革案です[4]。司法が法の番人であるなら、科学は持続可能性の番人となるのです。三権分立の本質的な仕組みはその誕生以来大きく変わっておらず、その間飛躍的に発展したテクノロジーもほとんど生かされていません。我々の民主主義への関わり方は、投票機会が年に数度あるかないか、しかも一回につき政党や候補者のみを与えられたリストから選ぶと言うわずか数ビットの情報を紙と鉛筆で書くと言う段階に止まっています(※ワープロソフトなどで人名を表すには数バイト以上の情報が必要だが、選挙などで与えられたリストからの選択式の場合、例えば32名の候補者から一名を指定するのに必要な情報量は log32/log2 = 5ビット となる)。一方で現代のAIはさまざまなエキスパート判断を自動処理でき、オンラインゲームでは大人数のプレイヤーが複雑な戦略を共同して楽しむコミュニケーションプラットフォームがあり、また投票アルゴリズムの分野でも全体最適を達成できる数理構造が解明されています。これらを組み合わせれば、現実の多様性と民主的な意思決定を非常に有効な形で接続し持続可能性を高めるために、科学を市民生活にとって最も身近な第4の権力として、かつてない規模と有用性で創り上げることが可能です。現在は持続可能性に関する国際条約や政策が、各国や政党の代表者や一部の専門家でしか議論されておらず、実効的なモニタリングや制御も追い付かない状況ですので、世界市民がそれぞれの生きる場所で、全体とのつながりを保ったまま人類社会の持続可能性に貢献できる仕組みを実現する必要があります。SDGsのような包括的な目標を達成しようと思ったら、そのくらい根本的な社会制度上の転換を行わなければなりません。
現状からのアプローチでは解けない社会課題
島田:
日本と海外の違いに関わる話で、日本の場合ですと農協とともに個人の農家の皆さんが働いているというパターンが多いですが、海外は農業が企業化されていたり、もしくは個人でも大規模であったりすると思います。それぞれに対し、活動されていることの有利不利な面はあるのでしょうか?
舩橋:
あまり関係ないですね。企業活動で取り組もうとする限り、モノカルチャーで大規模化するという経済的なインセンティブが短期的に働きます。ただこれは長期的に持続不可能なため今の問題がある訳です。ですから、協生農法の導入が組織の形態や経済的な理由に対して、しやすいかしにくいかというのは、実は現時点での現象に過ぎません。これから先、例えばウイルスの防疫的な観点、環境保護の観点から大規模なモノカルチャーを中規模から小規模にブレークダウンをしながら他業種との連携を含めて生物多様性を増進する活動が必要になってきます。そういう未来予測をし、新たに創出されるべきセクターの基礎的な在り方や生産原理というものを研究していますので、現時点での導入しやすさ、しにくさというのは優先的な解決課題にはなっていません。
現状のサイエンス、ビジネスでは、お金の元が企業活動や政府からでも大きな農業系の会社の意向に左右されるような政策を取りますので、そういったマネーフローで考えている限り小規模農家をアクターとした生物多様性の増進は進みません。ほぼ慈善事業か、言い訳的な国際支援が投入され三年で終わりということが世界各地で起こっています。ただ実際には家族経営のスモールホルダー達が生産している食料を積算すると、人類が今食べている食料の大部分を占め、同時に環境破壊の根になってしまっているのが現状であり、現状から出発して少しずつ改善するというアプローチでは全く解けない問題なのです。それが冒頭に申し上げたように、各個に良かれと思って動いていたのでは解決できない社会課題の典型的な例である全球的な食料生産です。なので、2045年までにこうしなければ現在の人口水準、健康水準、生態系の多様性を維持できない事がはっきりしているのであれば、その方向へ定性的にかなりドラスティックな舵を切らなければなりません。そうなった時に必要な知見や技術、もしくはビジネスのやり方というものを考えていくというスタンスを取っています。
文化を起こし、それを支える技術を提供できるのがソニー
島田:
ソニーの事業活動として営利目的だけでない社会課題への貢献の話も出てきています。ソニーの技術者の技術がどんな風にSDGsや社会課題解決への貢献ができると思いますか?もしくは協生農法において活かせるものがありますでしょうか?
舩橋:
技術が主語になって解決できる問題というのは、実はあまり無いと私は思っています。そうではなく人間の社会組織のあり方、自然の活用の仕方、文化というものがまず形成され、この文化を助ける形で技術を導入していくというのがおそらく正しい方向だと思います。
ソニーの例で言いますと、ウォークマン®という偉大な発明がありますが、あれは別に技術で何かをしようとした訳ではなく、一種のライフスタイルの提案だったと思うんですね。音楽というものをコンサートとか劇場で聴くだけではなく、また家の中で聴くだけのものでもなく、音楽を移動しながら町の中もしくは自然の中でも楽しむことができるというライスタイルを実現するために当時あった技術で作ったら、ウォークマンという商品ができたのだと思うのです。文化をまず提案して技術で支えるという伝統は日本企業の中でもソニーが突出して持っている強みだと思いますので、そのDNAをしっかりと受け継いで新しい状況に対処していくことが必要になると思います。ですから、この技術があるから凄い課題解決ができるんじゃないか、というのはあまりよろしくない方向で、課題解決をするには社会や文化全体がこのようにあることが必要だ、という定性的な方向性があって初めてそれを支えるためソニーの技術が活かせるのだと思います。
今の状況の典型的な例として、例えばAIは外国為替の取引にも使われていますが、人間をはるかに凌駕するスピードで取引をしていると、逆に為替取引の大部分がAIによる操作によって不安定化し、結局は最も手堅い伝統的な投資戦略が最もリスクは少ないという多様性を減らしてしまう状況が出現しています。
これは典型的にAIに依存したことによって起こる脆弱性であり、いわゆるレジリエンスとかロバストネスが失われた状況になっています。これをAI依存型(AI-dependent)と私は呼んでいるのですが、そうではないAI支援型(AI-supported)な状況を作る必要があります。それは実際の社会組織や文化、経済活動を作っているのはやはり生身の人間であり、人間がより賢くなるため社会全体としてより効率的な組織や、よりダイバーシティが尊重されるような社会・文化を作っていくためにAIがサポートし、社会生態系全体の保全性(social-ecological integrity)と言われるものが高い状態を作っていく事です。このように人類がかかわっている生態系環境全体を底上げするためテクノロジーを支援的に使うという方向が最も重要なのではないでしょうか。
島田:
ウォークマンが登場する数年前から、私はウォークマンのようなものが欲しかったんです。通学などの移動中にパーソナルに好きな音楽を楽しみたくて、でも当時は技術的に出来ませんでした。低消費電力、小型化、高密度実装、音の良いヘッドホンなど課題が多くあり、それを解決する技術が1979年にようやくできて嬉しく思いました。なので、私にとってはライフスタイルの潜在需要が先で後から技術が開発できたという思いがあります。
舩橋:
非常に本質的な話だと私は思っておりまして、最近のスタートアップにしろ、新しいビジネスモデルにしろ、このテクノロジーがあるからこういう文化が可能だ。という言い方が非常に優勢になってきていると思うのです。そういったものでも一部の裕福な人は生活が多少豊かになるとか、多少インスパイアされるとクリエイティビティが上がることもあると思いますが、先程も述べたように世界人口が増加する中で食料生産の現場にいる大多数のスモールホルダーの文化を底上げしない限り、生物多様性を始めとする環境問題は解決しません。一部の都市部の富裕層のガジェットではなく、人類全体の文化の底上げが必要であり、ウォークマン的な発想でないと太刀打ちできないと私は思っています。
実際、日本ではもう販売されてないウォークマンの古いモデルやラジカセをアフリカの田舎で未だに皆さん聞いています。彼らのライフスタイルを底上げしたものが、そこら辺の舗装されてない道路の脇にあるちょっとした屋台の中など、隅々まで行きわたっています。ビジネスでもサイエンスでも政府でも現状リーチできていないスモールホルダーの生活を変えるには、まさにそういうことをやらなければなりません。文化とそれを支える技術を深く考えることができている企業での中では、ソニーが質・量共にトップクラスなのではないかと思っています。
世界の認識を揃え、事業活動に落とすアプローチが必要
島田:
政府も財界も社会課題解決というものを事業と一体になった必要不可欠なものであると見ているのですが、舩橋さんから見た、社会課題と事業の関係についてお考えをお聞かせいただけますか?
舩橋:
事業化というのにも色々な見方があると思っていまして、例えばお金がある人が趣味で好きなことやっても、ビジネス原理の上で認められてしまう風潮もありますし、逆にどんなにサステナビリティのために本質的なことを言っていても、お金と人がついてこなかったらただ良いことを言っている人で終わってしまいます。さらに、長期の収益や持続可能性、健康効果、生物多様性の回復などのいわゆる自然資本の価値というのは、リアルタイムの経済活動の中に組み込まれず、時には数十年の時間遅れでしか得られないという難しさがあります。これらの事をどこまで認識して価値化できるか、というチャレンジだと思います。今現在のビジネスモデルで収益性のある事業だけを進めている経済社会では、遅かれ早かれ生物多様性が全球的に崩壊し、水や空気がタダで手に入らなくなり、お金では買えないぐらいの価値の高騰が起きて、紛争を生むカタストロフィーがもう目に見えているのです。では、予見できても実害がまだ出ていないリスクを金銭的に換算できるのか、今のビジネスのプロトコルの中に入れられるのかというと、そもそも出てくるものの性質が違うため、今まで通り考えていては非常に遅れを取ってしまうというのが実際の所だと思います。
突然降ってきた新型コロナウイルス問題は、経済と環境問題の関係に性質が似ている
舩橋:
一つヒントになるのは、新型コロナウイルスで何兆円という経済損失が日本だけでも出てきていることです。世界全体では数百兆円という見積もりもあります。これを2020年になるまで予測できず、経済損失が突然降ってきてしまったというのが、環境問題の性質を非常に端的に表していると思います。COVID-19のようなものを生まない対策をできるかというと、定性的で一般的な対策しかできません。野生生物との棲み分けを明確に保ちながら生物多様性を増進するとか、健全な表土を確保するとか、人間の限界まで追い込むような働き方、高密度の住居や通勤方式をやめ分散型の社会に移行していくとか、一般的な方向性は分かっていても、二十年後に突然経済が瓦解してしまうリスクを避けるため、今年から何十兆円規模の変化の対策を取れるかどうかです。それを正当化するためには、個々の事業体の採算性を超え自治体、国、さらにはアジア地域、世界レベルで、共通のコンテクストを作りそれに沿って動けるかどうかだと思います。今までのようにそれぞれの事業体ごとの利益を追求していくやり方では、本来自然が持っているダイナミクスから得られる便益にもアクセスできないし、今回のCOVID-19のような大きなスケールでいきなり降ってくるリスクにも対処できません。
そういったスケールのものに対して我々の経済活動をどう当てはめていくか、もしくは対象領域をスケールアップしていくかという認識の戦いがまず必要だと思っています。その認識がある程度共有された上で、個々のビジネスの是非は大きな目的に対して貢献しているものなのか?というジャッジメントがあり、全体最適の底上げに貢献するもので、なおかつ個々の事業体にとって利益を生み、給料を払え、必要な物資を売買する経済活動が支えられるという風に、大きな目標から小さな目標まで順序だてたテーラーリングがなされる必要があると考えます。
現在はそうなっておらず、例えばソニーグループ内ではある程度コンテクストが共有されている部分はあると思いますが、ソニーと他の企業、それこそ経団連に入っているような企業が全て、日本の環境や将来的な自然資本の喪失から来るリスクを防ぐような目標を共有した上で、個々の企業に持ち帰ってビジネスを見直しているかというと、全くできていません。それぞれお互い協力、競争したりしつつも基本的には自分の会社を維持することに経営の中心があると思います。本来これは中小企業から大企業、さらには政府まで含めた日本として、もしくはアジア、国連や生物多様性条約として統一的な方向性をきちんと共有した上で、多様な規模の経済主体に利点と欠点を認識された形で利益分配していく強力なプラットフォームを作る、そういう非常に大変な文明の作り直しが必要になると思います。
感染症は自然を理解するチャンスと捉え、人類の文明の礎に
島田:
このような感染症のパンデミックについては、ある程度その必然的に起きうる話もしくはそれが起きやすい状況に社会を作ってしまったという見解を持っておりました。先程お話頂いたような文化文明の作り直しというものを今私たちは迫られているのだなと感じています。
舩橋:
感染症といっても意味があるものですので、感染症がない世界というのは逆に生態系を健全に維持していくのが難しくなります。生態系のダイナミクスは非常に複雑で動物、植物、微生物、病原体などが全て合わさってお互い入り組んだ競争や協力をする関係があるのですが、より大きな天文学的な事象、火山活動が起きても太陽活動が変わっても、生態系全体としては完全に死に絶えることなく生き延びられるような、バランスと多様性を作り出す役割があります。感染症含め人類にとって不都合なものであっても生態系にとっては確固とした役割と必然性があり、まだ人間のサイエンスがそれをきちんと理解しきれていないのだと思います。恐れるというよりはより広いコンテクストで自然を理解するチャンスだと捉え、これをさらに取り込むような文明を構築してこそ人類の進化があるのではないかなと思っています。
長期的な価値を世の中に実現するためすべきこと
島田:
先ほどのお話でもあった、長期的な価値を目的に掲げるための取り組みとして、ESG投資という社会貢献性も考慮に入れた投資手法も生まれるなど、ビジネス側にも工夫が見られます。またソニーにも関連するところで、自然環境をセンシングしていくテクノロジーからのアプローチに何が必要か、ご意見を伺えますでしょうか。
舩橋:
センシングも結局テクノロジーなので、やはり人間自体が本質的に感じられていないものを機械ではセンシングできません。勿論マルチスペクトルカメラで人間の見えない波長も見えますから、人が見えてないものも見えるだろうという期待はわかるのですが。そもそもマルチスペクトルカメラという技術で測ればこういうことがわかるだろうと最初に発想しているのは人間なのです。つまり人間側の発想や問題意識が最初になければ、技術というのは何の役にも立たないのです。
例えば、今の徹底した外出自粛というのも、日光の殺菌作用がイメージできてないから、そういう極端に一律化したことを言い始めてしまう訳です。勿論密閉した空間に集まり話していれば感染するという疫学的なエビデンスはありますが、それを公園や浜辺といった生態系の要素としては全く異なる、紫外線のある、直射日光がある、風がある、健全な表土がある所にも単純化して当てはめてしまっているのは人間です。例えば、機械でいくら三密の場所での感染率が高いということが分かっても、それを別の環境に適応する時の想像力が人間側に欠けているとおかしなことが起こります。機械の上位には使いこなす発想を出している人間がいるということなのです。
ESG投資も一種のテクノロジーと考えると、我々が普段、企業ごとの利益を追求していては気付かないようなことを、きちんとターゲット化してくれているのではないかと希望を伴った言葉のように聞こえるのですが、実態としてESGとは何か?とか本当に長期的な目標は何か?ということを考えている人間がいる訳です。その人間がどこまで見ているのか?ということをきちんと問わなければなりません。またESGを語っているのが例えば会社の社長だけだったら、ほとんど実行力はないわけで、ESGが及ぶステークホルダーの範囲はどこまでなのか、それは自社だけではないはずですし、環境を介して別のセクターにも影響を及ぼしていることも、さらに言えば生態系自体の反応も考えなければいけません。そのようにきちんと人間の想像力を伸ばし、サイエンスだけではなく日常的な経験も含めて、非常に包括的なコンテクストをまず人間同士が形成すること、関わってる人すべてがそういったものを何とか形成していく事に非常な努力を伴ってチャレンジして、その上にESG、テクノロジーという名前なりが載ってくるという風に理解すると物事が混線しなくて良いと思います。
先ほどの民主主義社会の中で立法・行政・司法の三権分立に加えて、科学を持続可能性の番人に据えるために必要となる四権分立も、そのような社会制度上の認識革命が起きて初めて、例えば次世代インターネット技術をそのためのインフラとして有効に使うことができるようになるのです。
気候変動への適応策として一例を挙げると、今後2050年までにカーボン収支をゼロにするという目標が、持続可能な企業活動にとって重要なCSR目標になってきます。では単に2050年に見かけ上の収支がゼロになっていれば良いのかというと、色んなところでまだ不十分な点があります。例えば2050年までにゼロにすると言っても、もうちょっと早く2030年目標を達成できるようにやらないとIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の1.5℃上昇シナリオに間に合わないというのはありますし、カーボンを見かけ上ゼロにしても、実質的に排出されているカーボンがゼロになっているかはまた全然別の問題です。早い話、植林事業にお金を出せばカーボン排出権というのを買えてしまうわけですが、その投資した植林事業が実際にカーボンをきちんと吸収できているのか?ということのモニタリングは先程のテクノロジーの話ですが、まだ不十分なのです。
本当にカーボンをそれだけ吸収しているのかをモニタリングし、吸収していなかったら、その分さらに追加で植林事業へ投資するとか、別の手を打つなどフォローアップしなければいけません。CO2に閉じた話だけでもそこまでまず考えなければならないし、仮に温暖化が阻止できたとしても、例えばモノカルチャーの植林に投資をし続けた結果、土着の生物多様性が失われ今度は生態系機能、生態系サービスが低下してしまい、温暖化は避けられたけれども人間が活用していく自然資源がないという状況も出てしまいかねないです。なのでカーボンオフセットだけでなく生物多様性のオフセットも合わせてやらない限り、実際にCSR目標が本来意味しようとしていた世界は実現できないことが、今ある知識を繋げるだけでも分かります。
従ってESGとかCSRというのであれば、常にそれが本当に必要とされる2045年や2050年までに達成したいことへ本当に向かっているのかどうか、細々としたところまで全てチェックしていく必要があります。そういった人間側の大きなコンテクストのなかに技術をいかに組み合わせていくかという膨大な作業が必要になってくるかと思います。
人も生態系も感動する世界をソニーの方々と作りたい
島田:
社会課題を語る上での根底のテーマの一つに人の自然との向き合い方があると思います。どういう所に気を付ければいいかお考えをお聞かせいただけませんでしょうか。また最後に、ソニー社員へのメッセージをお願いできますでしょうか。
舩橋:
人間と自然との関わり方は二種類しかありません。人間が自然と関わることで生物多様性が減るが増えるかの二種類です。今までの大部分は生物多様性を減らしてきた歴史になっています。ですから人類が存在することで自然の生物多様性が増える方向に行っているのであれば、人口を増やしても生態系は保ちますけれども、逆であれば共倒れになります。これからの自然との関わり方は、自然を使いつつも生物多様性を増やす方向に必ず行くような方策が必要だと思います。
ソニーというのは、今日申し上げたことが現時点でもできる数少ない企業の一つだと私は思っています。数ある優れた企業の中でも、ソニーは幅広いコンテンツポートフォリオ、経験を持ち、文化を作ってから支援的な技術を作るという長い時間スケールでの仕事ができます。先ほど申し上げましたように、今までほとんどの企業活動が増進すると生物多様性が減る方向だったのですが、ソニーのそういった力を結集すれば、ソニーの経済活動が健全な形で発展すればするほど、地球上の生物多様性が増える、そういう企業活動がもしかしたら人類史上初めて成しうる大企業なんじゃないかと私は思っています。
極論すれば、ソニーがない世界よりも、ソニーがある世界の方が地球上の生物多様性が増えることが起きるはずです。そうすると生態系機能が増進されますから、それによって得られる、我々の日々の生活の糧である水・空気・食べ物といった自然資源が、ソニーの扱っている社会資本と連動して発展していき、その分人間の幸せも結果的に増え、生態系内の生き物にとっても豊かな自然環境の中でその役割を十全に発揮できると言う意味で幸福度も上がります。そういうソニーがある世界を言い換えれば、何らかの意味で主観的に突き動かされてるものを感動とするのであれば、人間の感動だけじゃなく生態系自体もソニーに感動しているような、そういう世界が作れるのではないかと思っています。是非そういった活動をソニーの方々と一緒に進めていきたいと思っています。
島田:
今日はすばらしいお話をありがとうございました。
[1] Funabashi M. “Human augmentation of ecosystems: objectives for food production and science by 2045” npj Science of Food volume 2, Article number: 16 (2018)
[2] Funabashi M. “Synecological farming: Theoretical foundation on biodiversity responses of plant communities” Plant Biotechnology, special issue plants environmental responses, 16.0219a
[3] 舩橋真俊『メタ・メタボリズム 宣言』 南條史生 アカデミーヒルズ 編 森美術館 企画協力 『人は明日どう生きるのか――未来像の更新』NTT出版 発行 (2020) pp. 50-72
[4] Ohta K. and Funabashi M. “Sustainable Development Goals (SDGs) —Synecoculture—” in New Breeze, the Quaterly of the ITU Association of Japan (No. 2 Vol. 31 April 2019 Spring)
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