ZÉNSHO Vision vol.29に対談掲載

ZÉNSHO Vision vol.29に対談掲載

当社団代表の舩橋真俊が、株式会社ゼンショーホールディングス代表取締役会長兼社長の小川賢太郎氏と対談を行い、ゼンショーサポーターズクラブ会報誌「ZÉNSHO Vision」vol.29に掲載されました。
許可を得てここに転載します。

乾いた砂漠を多種多様な自然に変える
協生農法が紡ぐ、持続可能な社会

画期的な農業を通じて、地球が直面する様々な課題に挑戦する研究者・舩橋真俊氏。「生物多様性」というキーワードをもとに、今、現代社会に何が求められているのか、話を聞いた。

小川 舩橋さんが実践されている協生農法は、無肥料・無農薬で、しかも土地自体も耕さずに100種類以上の野菜や果樹を栽培して新たな生態系を作るというものですが、非常にユニークな取り組みですね。ゼンショーは1982年に創業して以来、「飢餓と貧困をなくす」という理念を掲げていますが、その観点からしても興味深く感じます。

舩橋 ありがとうございます。まず、世界9億人の飢餓貧困を救うということを理念に掲げている会社が「本当にあるんだ」と驚きました。ただ、「飢餓と貧困をなくす」という行為は、とても重要であると感じたのと同時に、とても難しいことでもありますね。

果たして、その善意は本当に正しいのか?

小川 言うのは簡単だけど、莫大な人類の英知を結集して、しかも大規模にやらなければできるわけがない。それに対する答えも、今のところはないですしね。

舩橋 私がいつも肝に銘じている言葉に、「地獄への道は、善意によって舗装されている」というものがあります。やっていることが善意からのものであっても、それを積み重ねた結果、文明自体を沈没させてしまうことがあるからです。特に、農業や食料生産の分野では、常にその部分が深刻な課題になっていると感じます。
 現在の飢餓人口は約9億人と言われていますが、仮に慣行のやり方で食料を増産したりうまく分配してその人々を助けられたとしても、救えるのは人間だけで、その際に費やされた自然資源は長期的に失われてしまいます。さらに言えば、9億人の飢餓を救ったことで、その分人間活動が増えて全球的なレベルで生物多様性の破壊が進んでしまい、それ以上の飢餓を生むことだってありえます。

小川 新型コロナウイルスの話題の中にも同様の危険性を感じました。ウイルスや細菌は、少なくとも地球上の生物の多様性の中に存在しているわけですよね。そういう観点が不足している。部分だけ捉えて「手洗いをちゃんとやりましょう」とか。それは対症療法的にはやらざるをえない面はあるんだけど、ちょっと俯瞰的に見ると、ウイルスも細菌も私たちの生活の中で共存しているのに気づきます。共存とは「戦いながら存在する」ことで、それが生物多様性の根幹だから。そういう中で、生産者も消費者もこの地上で安全に楽しく自由に暮らすにはどういう仕組みがいいのか。それが私たちの課題だと考えていました。そんなときに、はじめて協生農法の存在を知ったんです。

「規格」の設定がイノベーションを不可能にする

舩橋 協生農法を実践していくには「二重の無知」と戦っていく必要があると思っています。ひとつは、先ほどの生物多様性に関する無知。そして、もうひとつは食に関する無知です。
 アメリカではファストフードのハンバーガーを食べ続けてしまい、家から出られなくなるくらい太ってしまう人がいますよね。人間の舌はバイアスがかかりやすいので、アディクションになってしまう。健康を害するとわかっていても、糖分や脂が多いものを選んでしまいます。何の教育もなく自由意志に任せていたら、食の長期的な影響は理解されにくいわけです。
 また、協生農法を実践する上で課題になるのが、流通です。先進国での大規模な流通の場合、仲買が多数の生産者からいったん作物を集めて、そこから大手スーパーなどに再配布しますよね。そのため、仲買が持つ基準が、流通できる食材の質に対して強い制限力を持ってしまうんです。
 多少形は悪いけど、環境や人体への安全に配慮して作られた農産物があるとします。でも、仲買は多数の販売店に商品として提供するために、消費者の要求とは直接関係ないサイズや見た目上の規格を設定してしまう。結果的に農家は、ほかに販路を持っていない場合、その時点で仲買の求める規格品を安定供給できる生産法を選択するしかなくなります。つまりそこには、食品産業のバリューチェーン全体を考慮した上で食材の質や生産の持続性を向上させるようなイノベーティブな手段が経済的に参入しにくい仕組みがあるんです。

小川 われわれゼンショーには、生産から物流・加工、消費までを一貫して行うマス・マーチャンダイジング・システム(MMD)という独自の仕組みがあるので、ある意味そういったものを取っ払って考えることができます。
 ただ、マーチャンダイジングの会社としては、やっぱり「消費」が起点になる。消費者が健康な精神と肉体を維持して社会活動を健全に行うために、「こういうものを食べたい」「こんな食べ方をしたい」を起点にモノを作ります。でも消費者は中空に暮らしているわけじゃないから、生活基盤として、生産の仕方、生物多様性も含めて、トータルで考える必要がある。

農法が違うだけで成分の約三割が変化する

舩橋 食の多様性を向上させるために流通から取り組まれる企業の方にはお会いしたことがあったんですが、重要なのは生産を根本から見直すことです。
 消費者の欲求任せでいると、一定の消費者は刺激ばかり求めて、必ずしも自分の健康を高めるものを選択しません。協生農法ではお茶も作っているんですが、このお茶を実際に1週間飲んでもらって、協生農法で育まれた味や体調の変化を経験してもらえた方から、消費の輪が広がっています。理解していただくには、言葉だけでは限界があり、質・量を伴った経験が先行する必要があ
ります。
 実際、お茶を分析したんですが、慣行の肥料や農薬を使って育てたものと比べてみると、約三割も成分に違いが出たんです。つまり、同じお茶と言っても、中身が全然違う。極論すれば、作物種の違いよりも、生産方法の違いの方が、食文化の内実の差は大きくなりえるんです。

決して民意が反映されない現在の政治

小川 根本から捉え直す作業の必然性は、政治もそうですね。

舩橋 おっしゃる通りです。政治の話で言いますと、今は間接民主制なので、われわれは選挙に行って代表を選びますが、政策自体にはわれわれの民意は直接反映されていない。ただ、政治家を選んでいるというだけなんです。政治家は限られた政党や産業セクターの利害関係で動いていますから、いつまでたっても社会のすべての階層からの全体最適というのが実現できない。
 このことについては、実はアメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンが任期を終えたときに「なぜ根本的に政党制の民主主義政治が破綻するか」を指摘しています。でも、われわれは未だにその政党政治の上にいる。200年前に喝破された欠点を乗り越えられていないんです。
 経済原理についても、産業革命以来格差を生んできた構造を乗り越えられていません。自然資本をベースとする一次産業と、二次産業や三次産業では経済の動くスピードが圧倒的に違います。それを同じ貨幣という抽象的なもので交換しようとしているのが現代です。車1台の値段とダイコン何千本かの値段が、等価交換可能なシステムで生きている限り、どうしても一次産業は競争力で不利になりやすいということです。

今求められる、未来へ転換する意思

小川 この脆弱なシステムを今一度捉え直さないと、それこそ地球上から表土が失われ、地球全体が都市化したとき、人類は滅亡せざるをえなくなります。そういうことが目に見えるところまで来てるんだなと感じますよね。

舩橋 少なくともこれから2045年までには、かなりドラスティックな社会変化が起きるんじゃないかと私は予想しています。

小川 人類史を転換させるようなことをやらないと、この先10年20年とは言わないけど、50年先は非常に危うい。近年は、精神的に脆弱な人たちが大きな国の大統領になったり、小さな国の大統領になったりしていますよね。そういう精神的にも肉体的にも脆弱な指導者が“ 群れ” のリーダーをしているということは、その群れ自体が危険に直面していることを意味します。
 人類の未来に対してわれわれは責任を負うべきです。研究者も、株式会社も、それぞれの立場で、意を決して転換をしなければいけません。それが、20世紀のモノカルチャーからの脱却になると思うんです。
 その点、私の場合は実務家なので、やっぱり「やらなきゃわからない」と思うことが多い。そういう意味では、まずは日本で協生農法の生産と販売をシステマチックに進化させる必要がある。そこが株式会社がやるべき守備範囲だと考えているんです。

舩橋 科学研究にも、必要な役割があると考えています。個々の実践が協生農法の基準に合致しているのか、本当に土壌の微生物の多様性や人の健康が向上しているのかということをサイエンスを入れて検証していく。実務的に経済活動としてやっていく上で、生態系の持続原理を見失うことのないように。そのような背景から、社会実装を様々なステークホルダーとともに始めたときに「採算性だけでなく、長期的な社会価値を明らかにしていく研究というのがこれから必要なんじゃないか」と思い、社団法人を立ち上げました。
 ゼンショーであれば、もう日本全国に店舗という形でインフラがあるわけですから、それを利用するべきだと思います。例えば、店舗の駐車場3台分ぐらいのスペースを小さい農園にする。そこで、その場所に行かないと食べられない野菜をサラダや付け合わせにして提供するんです。

協生農法が生む新たな地域のインターフェース

小川 うちのスーパーが、千葉と茨城の県境の関宿というところにあるんですけど、そこでは田んぼをやっているんです。というのも、単に買物の場所にするのではなくて、地域の農産物生産と販売を象徴するようなことがやりたかった。そこで、まず米を作ろう、と。実は、協生農法を知ってからは、あそこで野菜を栽培できないかと思っているんですよ。

舩橋 都心のすき家の店舗では難しいかもしれませんが、郊外の店舗だったら少しだけスペースを確保できるかもしれませんよね。だとしたら、そこを駐車場や芝生の公園にするのではなくて、協生農法の農園にするのはいいアイデアかもしれません。食料生産につながるし、地域の緑化にもなる。そのほかにも、土壌が微生物で豊かになったり、子どもの遊び場が増えたりもする。いろんなインターフェースになると思うんです。つまり、地域に密着する場所になる。それが可能になったら、もしかして、すき家に牛丼を食べに来るのではなく、良い空気を吸いに散歩に行くという人も出てくるかもしれない。農園で採れた野菜をテイクアウトするのもいいし、子どもたちが虫を捕まえに来るのでもいい。

小川 今日はいろんなアイデアを考えるきっかけをいただきました。ありがとうございました。

ZÉNSHO Vision vol.29 表紙