野母崎-奈良尾

野母崎-奈良尾

長崎の野母崎を出て、五島列島の奈良尾に向かいます。

朝の素潜りを楽しむクルーたち。

海水の透明度も高く豊かな磯ですが、相変わらず浜辺のプラスチックゴミが目立ちます。

プラスチックの育苗ポットが捨てられていたのを拾ったクルー。

長命草(ボタンボウフウ)の苗を作り自分の協生農園に導入するそうです。

一汗流した後の朝食は、第一レグ以来船底に眠っていた古米のチャーハンに、前夜のスズキを一晩煮込んだ白湯汁。


これから8時間の航海に備えます。

朝方に気温差のせいか露がおり、欄干に干した洗濯物が乾きません。その点ポリエステル素材は曇っていても少し風があれば乾きやすいようです。

網についたナマコの白い防御液が、一晩たってもくっついて取れません。凄まじい粘着力です。

捌いたナマコの身とコノワタ(海鼠腸)は順調に風乾が進んでいます。

野母崎から針路を303度にとり、奈良尾へ出航。

航行中に、またもや船倉からアシナガバチが出てきました。

小雨が降る中、西北西へ突き進みます。
今日から外洋なのでタンカーやフェリーと頻繁に交差します。

第一レグのトカラ列島とは比べ物にならないほど穏やかな海で、適宜食事や休憩をとりながら延々と進みます。

南風のクローズホールドでフルセイル、速力は5.7ノット前後。

海も風も安定していたので、オートパイロットを使います。

ぶっ込み用の頑丈な竿にルアーをつけて、トローリングを開始。指先で海の中の気配とつながる感覚がたまりません。

後半になって釣りマイスターの針にヒット。

良形のシイラ。地方によっては漁師に見向きもされない魚ですが、我々は美味しい食べ方を知っています。

釣り上げてすぐに船上で絞め、クーラーボックスに保存します。

夕方になり、深い霧の中に姿を現した五島列島。

目的地の奈良尾港は、かつて西日本最大の漁獲高を誇った港です。

今ではフェリーの発着所が中央に張り出して機能していますが、漁船も何隻か残っています。今は月夜間(つきよま)と言って満月で魚が多く獲れない数日間に相当し、漁船が港の中に残っているそうです。

停泊したポンツーンの下にはカラフルなソフトコーラルが群生。

外洋に面した小さな湾で潮通しが良く、船の上からでも魚が目視できるぐらい透明度も高いですが、うねりは入ってくるので停泊した船の中はやや揺れます。

釣り専門クルーが早速挨拶がわりに魚をゲット。

中層を軽く探っただけで、ベラの仲間や良形のカサゴを数匹瞬く間に仕入れました。ブリの稚魚も入っていました。

事前情報なしに乗り付けたので、クルー達も三々五々周囲の探索に出かけます。
合間に足湯で一休み。近くのリゾートホテルが引いて使っている源泉掛け流しだそうです。

この奈良尾の町は、16世紀に遡る昔に無人島だった場所に和歌山から漁師が移り住んでイワシやカツオの漁業を中心に発展させた場所だそうです。最初に近海のイワシを松明漁でとり、やがて遠洋のカツオ漁に乗り出し日本全国に出荷した鰹節づくりで栄えました。その後江戸から明治にかけてはクジラ漁や、近代には大型漁船を用いた巻き網が発展しました。
記念碑を見つけて和歌山出身の船長は嬉しそうで、奈良尾の人々も和歌山出身の人がいるというだけで無条件にリスペクトしてくださっているように感じました。

夕刻についたばかりなのですが、ヨットで外洋から人がやってきた噂は瞬く間に村中に広がり、自分たちで釣った魚を食べる暇もなく地元の方々が集う店に招待されました。
町を散策しつつ夕食に向かいます。
風情のある絵柄のトンネルを抜けると、

昔日の趣のある商店街。

先刻まで外洋のど真ん中にいたクルー達は安定した地面に少し戸惑い気味です。

樹齢650年のアコギの巨木が祀られた神社。
鳥居を押しのけるほどの樹勢と、見事な枝張りです。

幹の下はなんとトンネルになっていて、その中を通って参拝します。

辿り着いた居酒屋はGoogleマップにも載っていない小さな店ですが、かまぼこやアジフライの魚のクオリティが高く、五島列島の豚(五島豚)の生姜焼きも美味でした。

一緒に飲んでいる人々も親切です。店の方が奈良尾の歴史の詰まった非売品の冊子を二冊貸し出してくれました。

漁師達の鍛え上げられた体躯と歓声が上がってきそうな写真に、往時の活気が偲ばれます。

他にも、近年は世界遺産めぐりやアイドルゆかりの地巡り(アイドル聖地巡礼)に多くの国籍の観光客が訪れるそうで、レンタカー屋はどこもいっぱいでした。
幸い、偶然隣の席で飲んでいた窄山さんという年配の方が、息子さんが私(舩橋)と同じSonyに勤めていらっしゃるという理由だけで我々との出会いをとても喜んでくれ、島内を案内していただけることになりました。