表土とウイルス

表土とウイルス

この記事は、ソニーCSLが発行しているメールマガジン T-pop News No.177 に船橋真俊が寄稿した文章です。
新コロナウイルス発生の本質について考えるための情報として、ここに公開します。

表土とウイルス

ウイルスの波間に

2月中旬より、アフリカ南部へ研究プロジェクトのため出張に出た。日本では新型コロナウイルスの感染者はまだ40人足らずであり、ヨーロッパ各国でも十数名、アフリカでは報告数がゼロという状況だったが、指数的な増加傾向を危惧して日本では大企業が拡散防止の内部対策を講じ始めた頃だった。現地に到着して数日後、ソニーからも海外出張を全面的に禁止する通達がなされた。私はソニーCSLと堅密な連絡を取りながら、ウイルスの拡散状況をモニタリングし、アフリカ南部で研究を続けた。
 3月初旬にFAOの会議のためイタリアに渡航する予定だったが、渡航直前の三日間で新たに千人の感染者が発生し、急遽予定を変更してアフリカ南部に留まった。その後もイタリア・フランスでの患者数増加は止まらず、実際の会期中にはイタリア全土で感染者数が1万人を超えていた。
 イタリアの同僚たちは依然として私をローマへ歓迎するというメールをくれたが、私は予定を変更して、ヨーロッパ内陸部ではなくロンドンを経由してストックホルムでの仕事に切り替えた。現地の関係者とも連絡を取り合い、3月中旬に渡航する予定だったが、直前の数日で北欧も感染者の増加が顕著になり、渡航予定日にはスウェーデン国内の感染者数が千人に達していた。同時に、ヨーロッパからの渡航者を中心に、アフリカ南部にもポツポツと感染者が報告され始めた。高速Wi-Fiを借りるために立ち寄った高級ホテルの西洋人観光客の一人が、私が出国した翌日に初のCOVID-19陽性例として報告された。
 乗り継ぎ地の南アフリカでは、陸の国境の閉鎖が始まっていた。利用する航空会社やシンガポールなどの中継国でも、日本に滞在したCAを14日間の隔離措置にする決定がなされていた。私はヨーロッパから脱出する人混みをできるだけ避けつつも、比較的空席の多いドバイ経由で帰路についた。帰りの便で、ふと航空機の位置をモニターで見ると、武漢上空だった。日本に到着すると、EU各国は続々と lock down に突入していた。
 今は体調観察のため、南風の吹く湘南のビーチでこの原稿を書いている。海からの風に新コロナウイルスは乗って来られないからだ。

対症療法と根本対策

私がウイルス情報をモニタリングしていた時、各国政府の発表する対策はほとんど見なかった。ただし、潜伏期とウイルス排出が始まる期間に関する情報だけは逐次仕入れた。以前獣医学の研究をしていた頃、コロナウイルスと同じレトロウイルスの仲間のゲノム解析をした経験があり[1]、ウイルスの増殖実験のためにライフサイクルを把握していたため、自己の感染を防ぐためにすることは明白だった。
 アジアからヨーロッパ・アフリカへと伝搬してくるCOVID-19の津波を潜り抜けて日本へ帰るには、その波頭を踏み越えて行くしかない。そして一度国外へ出たからには、帰国は遅らせる方が良い。空路の構造からアフリカ南部は地球上で最後までCOVID-19の伝搬が遅れる場所であることは明白であり、そこで時間を稼げればウイルス自体が継代されることで弱毒株へ変異する可能性を最大限引き出せるし、日本国内が収束期に入ることも期待できるからだ。少なくとも日本での趨勢が定まらないうちに早急に帰国して自分が感染クラスターの一員になったり、アフリカで感染するリスクのあるその他の疾病を持ち込んで医療機関を圧迫する要因になってしまうことは防げる。
 その計画を実行するには、日本が初期のハイリスク国である段階を経過して感染者数が横這いになった後に、例えウイルスへの感染が広がっていたとしてもウイルスを排出する段階になる以前の人々の割合が最も多いであろう国・飛行機便を経由して帰るタイミングを見極める必要があった。それは3月中旬に2-3日の時間幅しかないと予想できたし、それに合わせるために数時間単位でフライトの調整も行った。きめ細やかな対応をしてくださったソニーCSLのスタッフに深謝したい。
 同時に、オーバーシュート(感染者の爆発的増加)が始まった時点で公的に取られる対策が、全て短期的に国民の生命を守り医療崩壊を防ぐための対症療法であることも予想していた。現在各国政府が国民に呼びかけている主な対策は、おおむね以下のように分類される。

・自己隔離、接触制限、移動制限
・手洗い、うがい、マスク、換気、清掃、ゴミの密閉など感染予防の徹底
・学校の閉鎖、レストランや映画館などライフラインに直接関わらない商店の閉鎖、イベントの開催禁止
・治療薬、ワクチンの開発

さて、この中の幾つが、そもそもCOVID-19なるものの発生に対する根本的な対策を提供しているだろうか?

 同じ問題は持続可能性への取り組みにも当てはまる。国連が定めたSDGs(持続可能な開発目標)を見てみよう。17の目標と169のターゲットのうち、一体いくつが事象の因果関係の全体に基づいた根本原因に対してアプローチするものだろうか?

SDGs (English): https://www.un.org/sustainabledevelopment/sustainable-development-goals/
日本語訳例:https://www.soumu.go.jp/main_content/000562264.pdf

教育や男女平等など、我々の文化圏の内部で閉じて改善ができる問題以外、特に自然資源や生態系サービスに関わる分野については、ほぼ対症療法としての目標設定・指標化しかできていないことがお分かりだろうか。貧困・飢餓・健康などの社会-生態系の複合性が強く出る問題は、ほぼ単に希望的目標値を定めているだけである。
 これは一重に自然生態系がもつ複雑さに対する制御の難しさを反映しており、専門化した科学が総合的な環境問題のマネージメントに失敗し続けてきた歴史でもある。ソニーCSLでは従来の閉鎖系での厳密科学とは対照的に、これらの複雑開放系(open complex systems, オープンシステム)におけるマネージメントを含んだ方法論の構築を目指してきた[2]。その挑戦の歴史的意義は根深い。
 例えばかつてイギリス植民地時代のインドで形成された東インド会社を見てみよう。一企業にすぎない東インド会社は、本国イギリスよりも強大な財力・軍事力を持ち、死刑執行まで行える独自の司法制度も持ち合わせていた。そしてそれらの重要な権力を司る要職は、出自や知識レベルとは関係なく、個人がお金で買収することができた。いわば完全にアマチュアによって運営された組織である。
 そのような企業が如何なる世界的な混乱と惨事を巻き起こしたかは、数多の歴史書に譲ろう。重要なのは、欧米世界は東インド会社の失敗から「専門性」を渇望し始めたということだ。今やすべての学問研究にPh.Dは必須の資格となっている。そればかりか、欧米の大企業や官公庁、国際機関の要職の多くはPh.D保持者である。厳しい専門教育を受けて優秀な成績を収めたプロフェッショナルによって新たな世界秩序が企図された。その結果できた世界はどうなっただろう。
 全米最高峰の大学で最も優秀だった学生がペンタゴンに就職し、国防力を上げるための兵器開発を担当することになった。そこから素晴らしいアイディアが生まれた。少し古くなった兵器を他国に売り、そのお金でよりハイスペックな兵器を開発し、国防と外交の優位性を保持しよう―そのアイディアは瞬く間に各国に支持された。今や我々はこの世界にどれだけの大量破壊兵器を生み出してしまったのかさえ知らない。
 わかりやすさのために人間社会の例を挙げたが、自然生態系もそれ以上に複雑なオープンシステムである。日本で開発された農薬が、東南アジアに輸出されて大量に使用され、瞬く間に耐性昆虫が出現しモンスーンに運ばれて日本に飛来した。そんな思いもよらぬしっぺ返し(wicked problem)が、複雑系では日常茶飯事として起こる。そのような生物世界の柔軟さと強靭さを前に、専門化された知識体系だけではマネージメントに遅れをとる。
 風向きが変われば簡単に倒れてしまうヨットのように、いくら高性能な船を作れたとしても、「風向きを読む」その能力がなければ、複雑に変化する自然界での航行はままならないのである。
 私がアフリカ南部に迫るウイルスの動向を察知した時に第一に行ったのは、健全な表土のある生態系に囲まれた環境回復型の農業(regenerative agriculture)を実践する場所への自己隔離である。そこでは数百頭の牛・羊・豚・鶏などが放し飼いにされ、よくコントロールされた区画に従って草を食み、本能のままに土を掘り起こし、泥にまみれ、枯れ草をなぎ倒していた。翌年には、草原はより豊かになって再生し、所々に点在する木々もより樹勢を増す。動物たちには薬や栄養剤などはほとんど使われず、群全体が至って強壮で健康であり、たまに獣医がチェックにきて談笑して帰るだけである。
 なぜ、それが対症療法ではなく根本対策となる「風向きを読む」ことにつながるのか、ウイルスの身になって考えてみよう。

ウイルスの身になって考える

私はウイルスである。名前はまだ無い。生まれてみたらウイルスだった。ウイルスというのはどうも自分一人では生きられないか弱い存在であるらしい。しかも生物なのか物質なのかさえはっきりしない。しかし私の面倒を見てくれる大家がいる。どうやら動物と言うらしい。我々一族がうまく繁栄していけるのも、ひとえに大家さんのおかげ…大事にしなくては。傷つけるなんてとんでも無い。ちょっと体の中を間借りして、仲間を適度に増やして外に出ていければそれで十分なのです。何なら大家さんの迷惑にならないように、おとなしいやつを選んで増やさせていただきます。むしろ我々の力を利用して強くなってもらえたならこれに勝る幸甚はありません。
(※進化の過程で、ウイルスによって新たな能力を獲得した生物種がいることがわかっている。また人間の皮膚常在菌や腸内細菌にも多様なウイルスが共生しており、人間の健康状態を支える一因とみなされている。)
 それにしても最近の大家は体調が悪い。あちこちに病気を抱えているし、我々の天敵、免疫細胞もいまいち頼りない。何でも自然界では、この動物が増えすぎて困っているらしい。ここでどこからともなく声が聞こえる。
「弱い奴から殺していいぞ…」
私は驚いた。大家を殺すなんてとんでもない。いかに弱って病気だらけの大家でも、なんとか共に生きる道はないものか。声は続く。
「ウイルスよ、それはお前の独りよがりというものだ。この自然界には掟がある。お前もその中で生きている。病弱な動物が増えすぎたらどうなる?動物は、つまるところ植物を食べて生きている。植物はこの世界の物質循環を支え、地表の生き物を共存させている。そして植物が健全に再生するには、動物に食べられて消化管を通る必要がある。生態系の成長を駆動するリン酸・カリウムや微生物叢のタイムリーな分配と供給には必要なことだ。特に世界の陸地のおよそ4割を占める乾燥・半乾燥地帯では、強く健康な動物が群れをなして草原を駆け巡っていないと、徐々に砂漠化が進行する。お前にはこの世界の精巧なバランスを崩す権利はない。自然の掟に従え。」
わかりました、わかりましたよ。これまでなるべく大家に迷惑かけないようにしてきましたが、最近の大家は弱すぎて何が迷惑になるのかも良くわかりません。私なりに色々変化してみて、より良いバランスを保てるように頑張りますよ。
 ちょうどその頃、大家が一斉に殺された。何でも人間という種に飼われた、家畜という動物だったらしい。その大家の大家とでもいうべき人間が、森を切り開いて動物を増やす施設を作り、その中にぎゅうぎゅう詰めにしていろいろな薬を使ったりしたらしい。どうりで大家は苦しそうだったわけだ。それにしても、我々一族ももはやバラバラだ。最近の子供たちは親に似ても似つかない。どうにかここから出ていく方法はないものか….そうだ、その人間とやらにちょっと乗っかってみよう。
 どうやら大成功だ。人間の体内は凄まじく快適。邪魔するものが何もいない。こりゃ元の大家より弱いぞ。うーん、新しい大家を殺すのは忍びないが、自然の声も聞いたことだし、それにこの人間という奴はなかなかしぶとい。いくら死んでもキリがないぐらい大勢いるし、我々が咳やくしゃみで感染することを知ると、距離をとって拡散を防ごうとする。それならしばらく暴れても絶滅しないから問題ないだろう。少しの間だけ、この地球上で天下を取った気分を味わわせていただきますぜ。人間が打つ手がなくなったら、こちらも新しい大家として敬意を表して、穏やかな付き合いをさせていただきますぜ。何しろ、オレたちに史上初めて名前をつけてくださった大家様ですからね。
 そこでまた自然の声が聞こえる。
「それでよい。人間も動物も植物も同じ命。微生物はさらにその祖先となる命だ。おまえたちウイルスの使命に変わりはない。おまえたちはそうやって、太古の昔から、全ての生き物たちの進化を支えてきた立役者なのだからな。気づいていないかもしれないが、その人間という種のゲノムを作る際にも、おまえたちの祖先が色々な遺伝子配列を組み込んで世話を焼いてくれたのだよ…」

 人獣共通の宿主域を持つ新興感染症が生まれる典型的なシナリオを、自然界のウイルスの立場から人間の言語に訳してみたが如何だったろうか。彼らは暴君でも殺戮者でも無い。生態系の中で確固とした役割を受け持った、地球生命圏を支える謙虚な一員なのである。それを暴走させている根本的な要因は、どこにあると思われるだろうか?
 ウイルスの多くは動物の呼吸器や消化管から排出される。その行き着く先はどこだろう。すぐ足元、自然界には土壌が広がっている。重力のある地球上でウイルスが必ず降り立つことになる土壌の表面で何が起きているか、ミクロの世界に分け入ってみよう。

表土の仕組み

土壌のうち特に地表数十センチの表土には、生物が永い歳月をかけて海から上陸進化を遂げてきた仕組みが詰まっている。原始地球には強烈な紫外線が降り注ぎ、如何なる生物も単体では上陸できなかった。生命のゆりかごであった海の環境をなんとか陸上に持ち出そうと、植物は実に5億年もの時間をかけて地表を覆いながら流域を遡り、大気組成や水循環と精密に連動した形で現在の表土の仕組みを作り上げたのだ。表土を媒介として、植物は全ての陸上生物の一次栄養源となる有機物を空気・水・日光・無機物より合成し、それらを多様な食物連鎖を通じて動物や菌類が消費し、更に多様な分子化合物となって再び表土に還ることで、生物化学的な多様性に基づいた様々な環境変化に対する緩衝・調節機能が発現する。
(※特に半乾燥地帯では、地表のわずか数mmの状態がその土壌の透水性に大きく影響し、その中で発揮される土壌機能を大きく左右する。)
 表土が発達した複雑な環境では、一つの病気は簡単には拡散しない。表土の持つ物理化学的な性質によって、先ず大部分の病原体は吸着される。都会では風が吹くたびに舞い上がりなかなか落ち着かない粉塵も、森林では湿った多孔質の土壌に捕まり清浄な空気が保たれる。そこには数多の微生物がひしめいており、それらが産出する生理活性の高い化学物質に曝露され、病原体は瞬く間に多重の競争・共生関係の網に取り込まれる。植物の多様性がある程度以上高ければ、微生物の多様性は桁違いに増え、それらの天文学的な数の遺伝子が全体として足並みを揃えて働くことがわかっている。しかも全体をまとめるオーケストラの指揮者のような役割として、実は植物や微生物と共生している様々なウイルスが重要になることも最近わかってきている。
(※これら一連の病原体抑制機能に加えて、有機物の生産と分解、水の貯留と浸透の調節、不純物の濾過や洪水・浸食の制御など様々な機能が、土壌の調整サービス(regulation service)と呼ばれている。)
 もうおわかりだろうか。ウイルスはステンレスやプラスチックなど化学的に安定で他の生物活動が少ない人工物の上(他の微生物にとって餌となる有機物がほとんどない環境)や、空間的に拡散して薄まらない密閉空間などで低温に保たれれば、結晶のような物質的側面を発揮して長時間生存する傾向がある。しかし、日光や水をはじめとする物理化学的な影響を強く受けるミクロな土壌環境や、他の生物との相互作用(特に我々の手にもたくさん着いているRNA分解酵素による分解など)に晒されると、そんなに強いものではない。ウイルス自体は核酸が数個のタンパク質と被膜(envelope)に包まれただけの単純な作りをしている。人間スケールに置き換えるなら、暴風雨が吹き荒れて凶暴な野生動物がウヨウヨいる山中で、軽装でビバークするような危険と隣り合わせの状態に陥るのである。
(※現在のところ、食中毒の原因となるノロウイルスのように最も安定性が高いウイルスであっても、人間を宿主とするウイルスが土壌中で増殖する例は確認されていない。しかし土壌中には様々な植物・小動物・細菌・真菌類と共生したウイルスが無数に存在し、多様な土壌機能を支えている。土壌中で長期間安定に存在できるのはタバコモザイクウイルスなど植物と密な共進化を遂げたものに限られ、宿主域が人間から遠ざかる。)
 更に、健全な表土とそれに基づく微生物の多様性は、人間の免疫系の正常な動作にとっても必須の前提条件である。ウイルスの感染経路となる我々の皮膚や粘膜を保護する常在細菌叢は、本来は多様な土壌細菌との接触によって健常化される。いわば免疫系というのは常に外部からの適度な撹乱を前提に動作の正常化が成されている。
(※学術的には、健康状態に対して遺伝子よりも環境条件の包括的優位性を示した暗礁モデル Hidden Reef model として定式化されている[3]。)
 逆に、自然界であるべき多様な抗原のインプットがない潔癖に清浄な環境や、そのような環境を作り出すための薬剤によって著しく皮膚や腸内の細菌の多様性が減少した状態では、免疫システムが自壊し様々な炎症やアレルギー疾患が発症することが分かっている。
 照明もない室内にぎゅうぎゅうに詰め込まれた家畜の免疫はストレスによって落ち込み、細菌感染を防ぐには抗生物質が多用される。あたかも、満員の通勤電車に自らを押し込むために、風邪薬を呑みこむが如くに。それらはミクロの世界では、膨大な数のウイルスと細菌がまるでひとつの大きな生命体のようにまとまって振る舞う本来の機能的共生系を築けずに、両方とも宿主に病原性を発揮してしまう矛盾した環境(生態系では病弱な個体を淘汰するメカニズム)を薬剤で押さえ込んでいる状態なのだ。そんな時に必要なのは、悪者を責めることではない。悪者が生まれないような環境へと状況全体をシフトすることなのだ。
 従って、感染者やその他宿主となる生物との接触を避け、その他の多様な微生物を育む土壌環境を自らの免疫の正常化を増進する内堀として、またウイルスを始めとした様々な病原体に対する吸着・調整作用を発揮する外堀として配置すること―これが、我々ができる範囲で生態学的に最も効果の望める感染症対策である。このような根本対策が実装可能な生活形態としては、地産地消かつ環境回復型の食料生産や複数の自然エネルギー源に支えられ、情報通信技術で繋がった地方分散型の居住形態があるだろう[4]。

 健全な表土と、それを相乗的に支える動植物の循環。それらを最低限の労力で高水準に保つための感染症や寄生生物の存在。それらのサイクルとバランスを人間の産業活動の根幹に取り戻す以外に、根本的な解決策は存在しない。

海水と粘膜 ―私がダイヤモンド・プリンセスに乗り合わせたら―

健全な表土の効能はわかってはいても、都市生活ではなかなかお目にかかれない。クルーズ船内では尚更のこと。そんな時でも、生物の上陸進化を思い出していただきたい。土壌細菌は、元は海洋細菌なのだ。動物としての人類と海の関係は遠いようで近い。むしろ、我々が二足直立歩行をしていること自体が、人に至る進化の過程のごく最近まで、我々が海水環境に依存していたことを物語っている。

・新生児が水に浮く特殊な脂肪組成。
・森林や草原では獰猛な肉食獣以外獲得が難しい、高タンパク質の栄養要求。
・森林や草原では文明の発展以前の生存が難しい、角・鉤爪・牙など闘争器官の欠如。
・重力下では負荷の多い二足歩行と、陸上動作のバランサーである尻尾の退化。
・重力方向よりも水流方向に一致している体毛の流れる向き。
・ものを掴み、水面上をオーバースローできる特異な肩腕の運動構造。
・巧みに木を登るには不器用に退化してしまった足の指と、肉食獣を逃れながら草原を長距離移動できるような蹄ほどには発達していない足の爪。
・走る速さでは他の動物に敵わず、ブタと並んで最下位の部類に入るが、急峻な岩場の登攀に関しては多くの動物より優れている事実。

いずれの形質も、ホモ・サピエンス出現の過程において、海辺の崖に守られたタイドプールが重要な進化のゆりかごであったことを示唆している。
 進化の初期から一貫して、生物の体表粘膜は海水の刺激を前提として進化してきた。たとえ一度内陸深くに進出した陸上動物であったとしても、ホモ・サピエンス誕生過程の数十〜数百万年間に再び海辺環境への適応を経ているとしたら、我々の眼は、喉は、消化管は、そして免疫系は、海水の恩恵を忘れてはいないだろう。このような理論はパスツールと同時代のルネ・カントンが過去にも展開しており、フランスの薬局では今でも免疫賦活剤として海水に相当する成分組成の等張液であるプラズマ・カントンが市販されている。パスツールが今日に至る加熱殺菌やワクチンの手法を発明した同時代に、殺菌では無く体内環境を生命発生の媒質である海水によって整えることで、カントンは局所の対症療法ではない健康という状態全体の底上げを追求したのである。
 実際に、私と共に協生農法(Synecoculture)の研究を手伝ってくれる学生たちには、希望に応じて農作業の後海水浴に連れて行く。虫刺されや草に引っ掛けて皮膚が傷ついた状態でも、土壌細菌にまみれ、海水に浸かることよって表皮は補修され、免疫系も正常化する傾向が見て取れる。花粉症など何らかのアレルギーを持っていても、一年後には全員が完治もしくは大幅な改善を報告してくれている。また私の祖母は、戦中戦後の食糧難の時には味噌の代わりにきれいな海水を汲んで潮汁を作っていたという。彼女は兄弟の中では最も病弱に生まれたと言っていたが、90歳代後半まで壮健であり、80歳を過ぎてからもプールに通っては泳いだ距離の記録をつけ、数年で日本一周分の距離を泳いでいた。
 私が身分不相応にもダイヤモンド・プリンセスに乗り合わせたら、先ずは優雅に海水浴に出かけたいが、それが叶わないならば海水を汲んできて軽く濾してから一日三回程度、眼などの粘膜に点滴するだろう。寝る前には海水で喉を湿らし、うがいや手洗いにも海水は活用できる。
 変異速度が速いRNAウイルスに対して、治療薬やワクチンの開発は時間の差はあれ一時凌ぎの役割しかない。毎年変異して流行するインフルエンザとのいたちごっこが、対症療法とウイルスの関係性を物語っている。それどころか、実験室の環境こそが大規模高密度畜産に近い不健康な閉鎖系を生み出し、自然界では出会わない動物間での病原体移植実験によって、サルのエイズウイルスのような新種のウイルスを誕生させてしまったこともある。また、近代史において最悪のパンデミックとなったスペイン風邪は、戦線での不衛生で高密度な塹壕生活に起因すると言われ、戦死者が出ることでウイルスは体内で弱毒化されるチャンスを失いより凶暴性を増したと推定されている。それまでの背景を無視して現在生じている問題だけを切り取って対症療法を推し進める文明に対しては、(典型的な wicked problem として)必然的に激症化するウイルスが発生して不安定性を増す方向に生態系は設計されているのだ。それはウイルスというスケールに限らず、サバクトビバッタなどが生育環境の生物多様性の低下と生息密度の増加によって群生相へと変異し、蝗害となって広大な農地を食い尽くす群動態の急激な変化のメカニズムとも数理的に共通している。
 一時の偏りや混乱を乗り越えて、ウイルスがその他の生物と幅広く共生系をつくり、様々な生態系サービスを支える一員として健全に活躍できるようにするには、自然がそのやり方を示してくれている土壌や海洋といったオープンシステムでの生態系ベース・環境ベースでのウイルスの多様な役割を解明していく必要があるだろう。これは、自然状態の生命科学(in natura life science [3])として重要なテーマの一つである。
 このように進化のスケールで根本的な因果関係を含んだ解決法を無償で提供してくれている貴重な表土と海水。それらをつないでいるのは雨・地下水・河川・海洋をひとつなぎにする水循環である[5]。そのすべての過程を、最も重要な表土から順に破壊していっているのが、現在のモノカルチャー主体の農業であり、無計画な放牧による砂漠化である。

超多様性自体の価値

これまで何十年も、生物多様性の重要さが叫ばれてきた。しかし目の前の飯を食うのに精一杯で、誰も聞く耳を持たなかった。多少の金持ちが出てきても、やはり彼らも聞く耳を持たなかった。生物多様性は慈善事業や、懐古趣味と暗に結びつけられ、真に人類史的な課題として取り組むべき重要性は、経済論や複雑性によってすぐには太刀打ちできないものとして延々と先送りにされてきた。
 COVID-19は、人類が集団的に先送りしてきた課題を、たまたま顕在化してくれる立役者に過ぎない。そのメッセージをどれだけ真摯に深く受け止められるかが、人類の知恵の深さを測る試金石となっている。多くの商店が閉まり、国境が閉ざされ、愛する人々の最期に立ち会えなかったとしても尚、我々には気づかなければならないことがある。
 すべての生命が生まれてきた源泉となる、生物の多様性。何故か単一種が物理的に増殖するだけでは成立することができなかった、この宇宙の根本的な制約条件であり、生きとし生けるものに与えられた課題。なぜ、これほどに多くの生物が必要なのか。なぜ、無駄な命というものが存在しないのか。人間の脳でも認識しきれない、ビッグデータでも網羅することができないこの無限増殖する個性を、超多様性(megadiversity)とでも呼ぼう。
 これまで、多様性はどこか遠い未来に向けて叫ばれるだけだった。しかし、今では誰もが身をもって感じている。我々が今急速に失っているもの、不安、痛み、お金、トイレットペーパー、笑顔、そして希望。それらを物言わずずっと支え続けていてくれたのがこの超多様性であったことを。
 世界規模のパンデミックは、同時に各地に新しい機会も生み出す。資本主義的な競争からの一時的な離脱。人々の連帯に基づいた、時間、文化、創造性の共有。真の食料自給率の再考や地方農業への支援。社会的弱者の保護やグローバルな停戦への呼びかけ。

 COVID-19が生まれてきた理由、そこに文明と自然を再び撚り合わせる、新たな鍵が見え隠れしていないだろうか。

参考文献

[1](ソニーCSL30周年記念書籍)『好奇心が未来をつくる ソニーCSL研究員が妄想する人類のこれから』ソニーコンピュータサイエンス研究所 編著 祥伝社 (2019)
[2] Tokoro M. “Open Systems Science: A Challenge to Open Systems Problems” First Complex Systems Digital Campus World E-Conference 2015, Springer Proceedings in Complexity (2017) pp. 213-221
[3] Funabashi M. “Human augmentation of ecosystems: objectives for food production and science by 2045” npj Science of Food volume 2, Article number: 16 (2018)
[4] 舩橋真俊『メタ・メタボリズム 宣言』 南條史生 アカデミーヒルズ 編 森美術館 企画協力 『人は明日どう生きるのか――未来像の更新』NTT出版 発行 (2020) pp. 50-72
[5] Funabashi M. “Water and Ecosystem Cycles Mediated by Plant Genetic Resources for Food and Agriculture” Genetic Diversity in Plant Species – Characterization and Conservation, Mohamed A. El-Esawi, IntechOpen, DOI: 10.5772/intechopen.79781. (2018)
※本稿の幾つかの重要な考察は、Allan Savory氏との対話に基づく。

 

 

アフリカ南部・ジンバブエにて、牛と山羊・羊を使って草地生態系を再生する Holistic Planned Grazing の実践現場。
南アフリカにて、豚を使ったサバンナの再生現場。
Holistic Planned Grazing によって裸地から多年草群落まで再生した場所。Allan Savory氏の案内による。
アフリカ南部・ジンバブエACHMにおいて実践中の協生農園区画。