中之島

中之島

トカラの中では100人余りと居住者数が最大の島、中之島に到着しました。
(住民票がある方は130人余りいるらしいのですが、鹿児島に居住されたりしていて実際の島人口はもっと少ないそうです。)
現地の村会議員、田中秀治さんの要請を受けて、コミュニティーセンターで協生農法の説明会を行いました。

協生農法に適した土地の探索を兼ねて、現地の農地調査を行いました。
サツダの田んぼ。

中之島、サツダの田んぼで栽培されているタイモ。 – Spherical Image – RICOH THETA

昔は稲作でしたが、今ではタイモを作っています。
しかし、タイモで補助金を得ているために、一部分でも稲を植えることは不可能だそうです。
タイモは昔は小さな芋を何年間かかけて作っていたそうです。化成肥料の登場とともに一年で肥大させることが可能になりましたが、反面水の中で腐ってしまう弊害が出ているそうです。

次に訪れたのは、通称ブタ山のバナナ園。
ここもかつて棚田だったところが、大部分放棄され、一部でバナナやしょうこうミカンなどの果樹を栽培しようとしています。

しかし、冬場の低温と夏場の台風で、未だバナナが出荷できていないとのことです。
宝島で栽培されていた自然農法のバナナ園に比べると、周囲の木々が低く離れていて、台風の強風に対してより露出されているように見受けられました。

ペットのヤギがいました。雑草を食べてくれています。
ヤギを食べるときは別途野生のものを捕まえてくるそうです。

3番目は、中央部にある高尾の湿地。
野人・大塚さんは「マカロニウェスタンのようだ」と言っていました。
放牧牛や、天然記念物のトカラウマが群れる牧場があります。

農地として開拓されているのは、大きなカルデラの底にある平らな部分です。

中之島の高尾の盆地。最低部が農地になっているが、水はけが悪い。 – Spherical Image – RICOH THETA


ところが、中之島は水が豊富で降雨量が多く、一度雨が降るとマニュアルの四駆でもはまってしまうぬかるみに変貌します。

農地はイネ科の草で覆われ、沖縄で利用されているニシヨモギが混生していました。

今までのところ、ハウス栽培や養鶏を小規模でやっているのみで、土地はある程度広いのですが水はけの問題で野菜や果樹園としては成立していないとのことです。

中之島の高尾、ハウス栽培のバナナやパッションフルーツ。 – Spherical Image – RICOH THETA

自然養鶏の鶏舎。発酵した腐葉土の菌体が鶏の主要なタンパク源であるという中島氏の実践に基づく。 – Spherical Image – RICOH THETA


水が多すぎる反面、湧き水には不足しておらず、かつて上水道を整備する計画が住民の反対にあったそうです。上水道は塩素消毒など一定の処理を行う必要があり、水道代が生じるためです。

その後、島の東側を通って、南東側にあるヤルセの旧集落跡に向かいました。

100万年前の噴火口跡の御池。

付近では魚食性のアカショウビンが飛び交っていました。

途中で、トカラ列島唯一の水力発電所を見学しました。
水量の豊富さを物語っています。

ヤルセの斜面には、昔ヤマハが使っていた果樹園が残っています。
田中さんを始め島の人が時々管理しているので、昔の果樹や薬草がまだ生き残っていました。

コミカンよりもさらに小粒で、凝縮された酸味のあるしょうこうミカン。

「しょうこう丸薬ミカン」とでも呼びたくなるパワーを持っています。

7月がタケノコシーズンのリョクチク。

圧巻だったのは樹齢40年以上になる、原種に近いスターフルーツの大木。

マダラ蝶が乱舞し、吸蜜していました。

ヤルセの集落は、田中さんが生まれ育った場所だそうです。
巨大なガジュマルがそこらじゅうに高い森を形成しており、自分が小人になったかのように感じます。

田中さんが50年以上前に挿し木したガジュマルも、今ではこんな大木になっています。

そして田中さんが生まれ育った実家は、今は森の一部になっています。

中之島、ヤルセ集落跡にて。田中秀治さんのご実家は今や森の一部。 – Spherical Image – RICOH THETA


昭和43年に最後の居住者が村を離れ、現在は無人の集落跡となっています。

港から遠いためアクセスは悪いですが、竹藪ではない豊かな森と水に恵まれ、果樹の苗を育てるには非常に良い環境であるように感じました。

一夜明けて翌日、椎崎の南側の斜面にある集落と牧場跡を視察に行きました。

中之島、椎崎の南向きの斜面。1ha強の集落跡の盆地と牧場跡が、ヘリポートの横に残されている。盆地からは小川のせせらぎが聞こえる。 – Spherical Image – RICOH THETA


昭和30年代末まで集落があった場所で、1ha強の盆地はリュウキュウチクのみならず樹木が混生し、谷川のせせらぎ音が聞こえます。
流域に沿って、海岸沿いには更に数haの緩斜面にアクセス可能です。

南向きの斜面で冬場でも気温が15度を下回らず、細い車道がすぐ傍まで来ています。
村有地であり、協生農法の混生果樹園モデルを試すには非常に良い環境のように思われました。

調査に忙しく、ヨットでは食糧が枯渇してきました。
宝島でいただいた自然農法のバナナがちょうど完熟ピークを過ぎており、食べごろです。

港ではミノカサゴを掬いました。
ダイバーには人気の魚ですが、侵襲的外来種として亜熱帯から熱帯の沿岸生態系のバランスにとっては近年脅威となっている魚です。
美味しく調理していただきます。

トカラ列島編もついに終盤です。台風10号を避けて8泊9日間係留させてもらった中之島港を去り、十島村最北の口之島へ向かいます。